毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》事《こと》を言つたらう? 莫迦な、モウ智恵子の顔を見ることが出来なくなつた! と彼は悔いた。何故モツと早く――吉野の来ないうちに言はなかつたらう※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
『畜生奴《ちくしやうめ》! 到頭白状させてやつた。』恁う彼は口に出して言つて見た。が、矢張彼は女から享けた拒絶の恥辱《はぢ》を、全く打消すことが出来なかつた。よし、彼女《あのをんな》を免職させる様にしてやらうか! 否《いや》、それよりは何《ど》うかして吉野を追払はう!
彼の心は荒れに荒れた。町端れから舟綱橋《ふなたばし》まで、国道を七八町滅茶苦茶に歩いて、そして、恐ろしい復讐を企てながら帰るともなく帰つて来た。が、彼は人に顔を見られたくない。町端れから再《また》引返して、今度は旧国道を門前寺村の方へ辿つた。
月が上つた。
途断《とぎれ》々々に、町へ来る近村の男女に会つた。彼は然しそれに気がつかぬ。何時しか彼は吉野との友情を思出してゐた。
「何有《なあに》! 知らん顔をしてゐればそれで済む。豈且《まさか》智恵子が言ひは為まい。」と彼は少し落着いて来た。
「然し、」と彼は復《また》しても吉野が憎くなる。「アノ野郎|奴《め》、(有難う御座います。)とはよくも言ひやがつた!」
信吾の憤《いか》りは再《また》発した。(有難う御座います。)その言葉を幾度か繰返して思出して、遂に、頭髪《かみ》を掻※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《かきむし》りたい程腹立たしく感じた。そして、彼の癖の、ステツキを強く揮つて、自暴《やけ》にヒユウと空気を切つた。
『信吾|様《さん》!』
と女の声。彼は驚いた様に顔を上げると、富江が白地の浴衣に月影を滴らせて、近いて来る。草履を穿いてるのか足音がしない。
『信吾|様《さん》!』と富江は再《また》呼んだ。
『あ、神山|様《さん》でしたか!』と一寸足を留めて、直ぐまた歩き出さうとする。
『マア、何処へ被行《いらつしや》るの?』
答もせずに信吾は五六歩歩いて、そしてグルリと自暴《やけ》に体を向直した。
『ハハヽヽ。何処へ行つたんです貴女こそ?』
『生徒の家《うち》へ招待《よば》れて、門前寺の…………一人で散歩するなんて気が利かないぢやありませんか、貴方は!』
『貴女だつて一人ぢやないか!』
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