《うしろ》から静子は、
『梅ちやん、先生は?』
と優しく言ひながら近づいた。
静子は直ぐ気が付いた。梅ちやんの着てゐる紺絣《こんがすり》の単衣《ひとへ》、それは嘗て智恵子の平常着《ふだんぎ》であつた!
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あな我が君のなつかしさよ、
まみゆる日ぞまたるる。
君は谷の百合、峰のさくら、
うつし世にたぐひもなし。
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家《うち》の中からは幽かに讃美歌の声が洩れる。信吾は居ない! 恁う吉野は思つた。
『先生! 先生!』と、梅ちやんは門口から呼ぶ。
(十一)の三
智恵子に訊くと、信吾は一時間許り前に帰つたといふ。
『マア何処へ行つたんでせうねえ。夕方までに帰つて、私達と一緒に再《また》出かける筈でしたのよ。これから何処へ行くとも何とも言はなかつたんでせうか?』
『否《いいえ》、何とも別に。』と言つて、智恵子は意味|有気《ありげ》な目で吉野を仰いで、そして俯向いた。
『歩いてゐたら逢ふでせうよ。』と吉野は鷹揚に言つた。『怎《ど》うです。日向|様《さん》も被行《いらつしや》いませんか、盆踊を見に?』
『ハ。……マアお茶でも召上つて……。』
『直ぐ被行いな、智恵子様。何か御用でも有つて?』と静子も促す。
『否《いいえ》。』
『行きませう! 僕は盆踊は生れて初めてなんです。』と、吉野はモウ戸外《そと》へ出る。
で、智恵子は一寸奥へ行つて、帯を締直して来て、一緒に往来に出た。
樺火は少許《すこし》頽《すた》れた。踊がモウ始まつたのであらう、太鼓の音は急に高くなつて、調子に合つてゐる。唄の声も聞える。人影は次第々々にその方へながれて行く。
提灯を十も吊した加藤医院の前には大束の薪がまだ盛んに燃えてゐて、屋内《やうち》は昼の如く明るく、玄関は開放《あけはな》されてゐる。大形の染の浴衣に水色|縮緬《ちりめん》をグル/\巻いた加藤を初め、清子、薬局生、下女、皆玄関に出て往来を眺めてゐた。
『ヤア、皆様《みなさん》お揃ひですナ。』と、加藤から先づ声をかける。
『お涼《すず》みですか。』と吉野が言つて、一行はゾロ/\と玄関に寄つた。
『Guten《グーテン》 Abend《アベント》, Herr《ヘル》 Yoshino《ヨシノ》! ハハヽヽ。』と、近頃通信教授で習つてるといふ独逸《ドイツ》語を使つて、加藤は太つた体を揺
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