、熱心に又樂しさうに、育ち卑しき涕垂《はなたら》しの兒女《こども》等を對手に送つてゐるのは、何も知らぬ村の老女達《としよりたち》の目にさへ、不思議にも詰らなくも見えてゐた。
 何れ何事かやり出すだらう! それは、その一箇年の間の、四圍の人の渠に對する思惑《おもわく》であつた。
 加之、年老《としと》つた兩親と、若い妻と、妹と、生れた許りの女兒と、それに渠を合せて六人の家族は、いかに生活費のかゝらぬ片田舍とは言へ、又、儉約家の母親がいかに儉《しま》つてみても、唯八圓の月給では到底喰つて行けなかつた。女三人の手で裁縫物など引き受けて遣つてもゐたが、それとても狹い村だから、月に一圓五十錢の收入は覺束ない。
 そして、もう六十に手の達いた父の乘雲は、家の慘状《みじめさ》を見るに見かねて、それかと言つて何一つ家計の補助《たし》になる樣な事も出來ず、若い時は雲水もして歩いた僧侶上りの、思ひ切りよく飄然と家出をして了つて、この頃漸く居處が確まつた樣な状態であつた。
 健でないにしたところが、必ず、何かもつと收入の多い職業を見附けねばならなかつたのだ。
『健や、四月になつたら學校は罷めて、何處さか行ぐ
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