む者、などに逢つたら、(その前に能く催眠術の奥義を究めて置いて、)其奴《そいつ》の頭に手が触つた丈で癒してやる。……考へた時は大変面白かつたが、恁書いて見ると、興味索然たりだ。饒舌《おしやべり》は品格を傷《そこな》ふ所以である。
立花浩一と呼ばるる自分は、今から二十幾年前に、此盛岡と十数|哩《マイル》を隔てた或る寒村に生れた。其処の村校の尋常科を最優等で卒業した十歳の春、感心にも唯一人|笈《きふ》をこの不来方城下に負ひ来つて、爾後八星霜といふもの、夏休暇《なつやすみ》毎の帰省を除いては、全く此土地で育つた。母がさる歴《れつき》とした旧藩士の末娘であつたので、随つて此旧城下蒼古の市《まち》には、自分のために、伯父なる人、伯母なる人、また従兄弟なる人達が少なからずある。その上自分が十三四歳の時には、今は亡くなつた上の姉さへ此盛岡に縁付いたのであつた。自分は此等縁辺のものを代る/″\喰ひ廻つて、そして、高等小学から中学と、漸々《だんだん》文の林の奥へと進んだのであつた。されば、自分の今猶生々とした少年時代の追想――何の造作もなく心と心がピタリ握手して共に泣いたり笑つたり喧嘩して別れたりした沢山の友人の事や、或る上級の友に、立花の顔は何処かナポレオンの肖像に似て居るネ、と云はれてから、不図軍人志願の心を起して毎日体操を一番真面目にやつた時代の事や、ビスマークの伝を読んでは、直《すぐ》小比公《せうびこう》気取の態度を取つて、級友の間に反目の種を蒔いた事や、生来虚弱で歴史が好きで、作文が得意であつた処から、小ギボンを以て自任して、他日是非印度衰亡史を著はし、それを印度語に訳して、かの哀れなる亡国の民に愛国心を起さしめ、独立軍を挙げさせる、イヤ其前に日本は奈何《どう》かしてシヤムを手に入れて置く必要がある。……其時は、自分はバイロンの轍《てつ》を踏んで、筆を剣に代へるのだ、などと論じた事や、その後、或るうら若き美しい人の、潤める星の様な双眸《さうぼう》の底に、初めて人生の曙の光が動いて居ると気が付いてから、遽《には》かに夜も昼も香《かぐ》はしい夢を見る人となつて旦暮《あけくれ》『若菜集』や『暮笛集』を懐にしては、程近い田畔《たんぼ》の中にある小さい寺の、巨《おほ》きい栗樹《くりのき》の下の墓地へ行つて、青草に埋れた石塔に腰打掛けて一人泣いたり、学校へ行つても、倫理の講堂で竊《そ
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