橋の眺めもよく、若しそれ市の中央に巍然として立つ不來方城《こずかたじやう》に登つて瞰下《みおろ》せば、高き低き茅葺柾葺の屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、實に誰が見ても美しい日本の都會の一つには洩れぬ。誰やらが初めて此|市《まち》に遊んで、『杜陵《とりよう》は東北の京都なり。』と云つた事があるさうな。『東北の京都』と近代的な言葉で云へばあ餘り感心しないが、自分は『みちのくの平安城』と風雅な呼方をするを好む。
この美しい盛岡の、最も自分の氣に入つて見える時は、一日の中では夜、天候では雨、四季の中では秋である。この三を綜合すると、雨の降る秋の夜[#「雨の降る秋の夜」に傍点]が一番好い事になるが、然しそれでは完全に過ぎて、餘り淋し過ぎる。一體自分は歴史家であるから、開闢以來此世界に現れた、人、物、事、に就いては、少くとも文字に殘されて居る限りは大方知つて居るつもりであるが、未嘗て、『完全なる』といふ形容詞を眞正面から冠せることの出來る奴には、一人《ひとり》も、一個《ひとつ》も、一度《ひとたび》も、出會《でつくわ》した事がない。隨つて自分は、『完全』といふ事には極めて同情が薄いのである。完全でなくても構はぬ、たゞ拔群であれば可い。世界には隨處に『不完全』が轉がつて居る。其故に『希望』といふものが絶えないのだ。此『希望』こそ世界の生命である。歴史の生命である、人間の生命である。或る學者は『歴史とは進化の義なり。』と説いて居るが、自分は『歴史とは希望の義なり。』と生徒に教へて置いた。世界の歴史には、隨分違つた希望のために時間と勞力とを盡して、そして『進化』と正反對なる或る結果を來した例が少くない。此『間違つた希望』と『間違はない希望』とを鑑別するのが、正當なる歴史の意義ではあるまいかと自分は思ふ。自分一個の私見では、六千載の世界史の中、ペリクリーズ時代の雅典《アテーネ》以後、今日に到る部分は、間違つた希望に依る進化、換言すれば、墮落せる希望に依る墮落、の最も大なる例である。斯う考へると、誠に此世が情《なさけ》なく心細くなるが、然し此點《こゝ》が却つて面白い、頗る面白い。自分は『完全』といふものは、人間の數へ得る年限内は決して此世界に來らぬものと假定して居る。(何故なれば、自分は『完全になる』とは、水が氷になる如く、希望と活動との死滅する事であると解釋して居るからだ。)だから、我等の過去は僅々六千載に過ぎぬが、未来には幾百千億萬年あるか知れない。この無限の歴史が、乃ち我等人間の歴史であると思ふと、急に胸が豁《ひら》いた樣な感じがする。無限無際の生命ある『人間』に、三千年位の墮落は何でもないではないか。加之《しかのみならず》較々《やゝ》完全に近かつた雅典《アテーネ》の人間より、遙かに完全に遠《とほざ》かつた今の我々の方が、却つて/\大なる希望を持ち得るではないか。……斯く、眞理よりも眞理を希求する心、完全よりも完全に對する希望を尊しとする自分が、夜の盛岡の靜けさ淋しさは愛するけれども、奈何《どう》して此三が一緒になつて三足《さんそく》揃つた完全な鍋、重くて黒くて冷たくて堅い雨ふる秋の夜[#「雨ふる秋の夜」に傍点]といふ大きい鍋を頭から被《かぶ》る辛さ切なさを忍ぶことが出來よう。雨の夜と秋との盛岡が、何故殊更に自分の氣に入るかは、自分の知つた限りでない。多分、最近三十幾年間の此市の運命が、乃ち雨と夜と秋との運命であつた爲めでがなあらう。
昨日は、朝まだきから降り初めた秋雨が、午後の三時頃まで降り續いた。長火鉢を中に相對して、『新山堂の伯母さん』と前夜の續きの長物語――雨の糸の如くはてしない物語をした。自分の父や母や光ちやん(妹)の事、伯母さんの四人の娘の事、八歳で死んだ源坊の事、それから自分の少年時代の事、と、これら凡百《ぼんびやく》の話題を緯《ぬき》にして、話好《はなしずき》の伯母さんは自身四十九年間の一切の記憶の絲を經《たて》に入れる。此はてしない、蕭《しめ》やかな嬉しさの籠つた追憶談は、雨の盛岡の蕭《しめ》やかな空氣、蕭やかな物音と、全く相和して居た。午時《ひる》近くなつて、隣町の方から『豆腐《とうふ》ア』といふ、低い、呑氣な、永く尾を引張る呼聲が聞えた。嗚呼此『豆腐ア』! これこそは、自分が不幸にも全《まる》五年の間忘れ切つて居た『盛岡の聲』ではないか。此低い、呑氣な、尾を引張る處が乃ち、全く雨の盛岡式である。此聲が蕭やかな雨の音に漂うて、何十度か自分の耳に怪しくひびいた後、漸やく此家の門前まで來た。そして遠くで聞くも近くで聞くも同じやうな一種の錆聲《さびごゑ》で、矢張低く呑氣に『豆腐ア』と、呟やく如く叫んで過ぎた。伯母さんは敢て氣が附かなかつたらしい。軈て、十二時を報ずるステーションの工場の汽笛が、シッポリ濡れた樣な唸りをあげる。と、此|市《まち》に天主教を少し許り響かせてゐる四家町《よつやちやう》の教會の鐘がガラン/\鳴り出した。直ぐに其の音を打消す他の響が傳はる。これは不來方《こずかた》城畔の鐘樓から、幾百年來同じ鯨音《おと》を陸奧《みちのく》の天《そら》に響かせて居る巨鐘の聲である。それが精確に十二の數を撞き終ると、今まであるかなきかに聞えて居た市民三萬の活動の響が、礑《はた》と許り止んだ。『盛岡』が今|今日《けふ》の晝飯を喰ふところである。
『オヤマア私とした事が、……御飯の仕度まで忘れて了つて、……』
といつて、伯母さんはアタフタと立つた。そして自分に云つた、
『浩さん、豆腐屋が來なかつたやうだつたね。』
此伯母さんの一擧一動が悉く雨の盛岡に調和して居る。
朝行つた時には未《ま》だ蓋が明かなかつたので食後改めて程近い錢湯へ行つた。大きい蛇目傘をさして、高い足駄を穿いて、街へ出ると、矢張自分と同じく、大きい蛇目傘、高い足駄の男女が歩いて居る。皆無言で、そして泥汁《どろ》を撥《は》ね上げぬ樣に、極めて靜々と、一足毎に氣を配つて歩いて居るのだ。兩側の屋根、低い家には、時に十何年前の同窓であつた男の見える事がある。それは大抵大工か鍛冶屋か荒物屋かである。又、小娘の時に見覺えて置いた女の、今は髮の結ひ方に氣をつける姉さんになつたのが、其處此處の門口に立つて、呆然《ぼんやり》往來を眺めて居る事もある。此等舊知の人は、決して先方から話かける事なく、目禮さへ爲《す》る事がない。これは、自分には一層雨の盛岡の趣味を發揮して居る如く感ぜられて、仲々奧床しいのである。總じて盛岡は、其人間、其言語、一切皆|克《よ》く雨に適して居る。人あり、來つて盛岡の街々を彷徨《さまよ》ふこと半日ならば、必ず何街《どこ》か理髮床の前に、銀杏髷《いてふまげ》に結つた丸顏の十七八が立つて居て、そして、中なる剃手《そりて》と次の如き會話を交《まじ》ふるを聞くであらう。
女『アノナハーン、アエヅダケァガナハーン、昨日《キノナ》スアレー、彼《ア》ノ人《シタ》アナーハン。』
男『フンフン、御前《おめあ》ハンモ行《エツ》タケスカ。フン、眞《ホ》ニソダチナハン。アレガラナハン、家《エ》サ來ルヅギモ面白《オモシエ》ガタンチェ。ホリヤ/\、大變《テイヘン》ダタァンステァ。』
此奇怪なる二人の問答には、少くとも三幕物に書き下すに足る演劇的の事實が含まれて居る。若し一度も盛岡の土を踏んだことのない人で、此會話の深い/\意味と、其誠に優美な調子とを聞き分くる事が出來るならば、恐らく其人は、大小説家若くは大探偵の資格ある人、然らずば軒の雨滴の極めて蕭やかな、懶氣《ものうげ》な、氣の長い響きを百日も聞き慣れた人であらう。
澄み切つた鋼鐵色の天蓋を被《かつ》いで、寂然と靜まりかへつた夜の盛岡の街を、唯一人犬の如く彷徨《うろつ》く樂みは、其昔、自分の夜毎に繰返すところであつた。然し、五年振で歸つて僅か二夜を過した許りの自分は、其二夜を遺憾乍ら屋根の下にのみ明かして了つたのである。尤も今は電燈の爲めに、昔の樂みの半分は屹度《きつと》失《な》くなつたであらう。自分は茲で、古い記憶を呼び覺して、夜の街の感想を説くことを、極めて愉快に感ずるのであるが、或一事の蟠《わだかま》るありて、今往時を切實に忍ぶことを遮《さへぎ》つて居る。或る一事とは、乃ち昔自分が夜の盛岡を彷徨《うろつ》いて居た際に起つた大奇談である。――或夜自分は例によつて散歩に出懸けた。仁王小路から三戸町《さんのへちやう》、三戸町から赤川《あかがは》、此赤川から櫻山の大鳥居へ一文字に、畷《なはて》といふ十町の田圃路がある。自分は此十町の無人境を一往返するを敢て勞としなかつた。のみならず、一寸路を逸《そ》れて、かの有名な田中の石地藏の背を星明りに撫づるをさへ、決して躊躇せなんだ。そして、平生《ひごろ》の癖の松前追分を口笛でやり乍ら、ブラリ/\と引返して來ると、途中で外套を著、頭巾を目深に被つた一人の男に逢つた。然し別段氣にも留めなかつた。それから急に思出して、自分と藻外と三人|鼎足的《ていそくてき》關係のあつた花郷を訪ねて見ようと、少しく足を早めた。四家町は寂然《ひつそり》として、唯一軒理髮床の硝子戸に燈光《あかり》が射し、中から話聲が洩れたので、此處も人間の世界だなと氣の付く程であつた。間もなく花屋町に入つた。斷つて置く、此町の隣が密淫賣町《ぢごくまち》の大工町で、藝者町なる本町通も程近い。花郷が宿は一寸職業の知れ難い家である。それも其筈、主人は或る田舍の村長で、此本宅には留守居の祖母が唯一人、相應に暮して居る。此祖母なる人の弟の子なる花郷は、此家の二階に本城を構へて居るのだ。二階を見上げると、障子に燈火《あかり》が射して居る。ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と口笛を吹くと、矢張ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と答へた。今度はホーホケキョ[#「ホーホケキョ」に傍点]とやる、(これは自分の名の暗號であつた。)復ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と答へた。これだけで訪問の禮は既に終つたから、平生《いつも》の如く入つて行かうと思つて、上框《あがりかまち》の戸に手をかけようとすると、不意、不意、暗中に鐵の如き手あつて自分の手首をシタタカ握つた。愕然《びつくり》し乍ら星明《ほしあかり》で透して見たが、外套を著て頭巾を目深に被つた中脊の男、どうやら先刻《さつき》畷で逢つた奴に似て居る。
『立花、俺に見附つたが最後ぢやぞッ。』
驚いた、眞に驚いた。この聲は我が中學の體操教師、須山といふ豫備曹長で、校外監督を兼ねた校中第一の意地惡男の聲であつた。
『先刻田圃で吹いた口笛は、あら何ぢや? 俗歌ぢやらう。後を尾《つ》けて來て見ると、矢張口笛で密淫賣《ぢごく》と合圖をしてけつかる。……』
自分は手を握られた儘、開いた口が塞がらぬ。
『此間職員會議で、貴樣が毎晩一人で外出するが、行先がどうも解らん。大に怪しいちふ話が出た。貴樣の居る仁王小路が俺の監督範圍ぢやから、俺は赤髯(校長)のお目玉を喰つたのぢや、けしからん、不埓《ふらち》ぢや。其處で俺は三晩つづけて貴樣に尾行した。一昨夜は呉服町で綺麗な簪を買つたのを見たから、何氣なく聞いて見ると、妹へ遣るのだと嘘吐いたな。昨晩《ゆうべ》は古河端のさいかち[#「さいかち」に傍点]の樹の下で見はぐつた。今夜といふ今夜こそ現場を見屆けたぞ。案の諚大工町ぢやつた。貴樣は本町へ行く位の金錢《ぜに》は持つまいもんナ。……ハハア、軍隊なら營倉ぢや。』
自分の困憊の状察すべしである。恰も此時、洋燈《ランプ》片手に花郷が戸を明けた。彼は極めて怪訝に堪へぬといつた樣な顏をして、盛岡辯で、
『何《どう》しあんした?』
と自分に問うた。自分は急に元氣を得て、逐一事情を話し、更に須山に向いて、
『先生、此町は大工町ではごあせん、花屋町でごあんす。小林君も淫賣婦《ぢごく》ではごあんせんぜ。』と云つた。
須山は答へなかつたが、花郷は手に持つ洋燈を危氣《あやふげ》に動かし乍ら、洒脱な聲をあげて叫び出した。
『立花白蘋君の奇談々々!』
『立花、貴樣餘ッ程氣を附けんぢや――不可《いかん》ぞ。よく覺えて居れッ。』
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