、俺許《おらどこ》さ泊めて呉《け》ろづな?』と、無遠慮に叱る様に言ふ。
『左様さ。私《わし》はな……』と、松太郎は少許《すこし》狼狽《うろた》へて、諄々《くどくど》初対面の挨拶をすると、
『何有《なあに》ハア、月々三両せえ出せば、死《くたば》るまででも置いて遣《や》べえどら。』
 移転祝《ひつこしいはひ》の積りで、重兵衛が酒を五合買つて来た。二人はお由にも天理教に入ることを勧めた。
『何有《なあに》ハア、俺《おら》みたいな悪党女《あくたうをなご》にや神様も仏様も死《くたば》る時で無《ね》えば用ア無えどもな。何だべえせえ、自分の居《を》ツ家《とこ》が然《そ》でなかつたら具合《ぐあえ》が悪かんべえが? 然《そ》だらハア、俺《おら》ア酒え飲むのさ邪魔さねえば、何方《どつち》でも可《い》いどら。』
と、お由は、黒漿《おはぐろ》の剥げた穢い歯を露出《むきだし》にして、ワツハヽヽと男の様に笑つたものだ。鍛冶屋の門《かど》と此の家の門に、『神道天理教会』と書いた、丈《たけ》五寸許りの、硝子を嵌《は》めた表札が掲げられた。
 二三日経つてからの事、為様事《しやうこと》なしの松太郎はブラリと宿を出て、其処此処に赤い百合の花の咲いた畑径《はたけみち》を、唯一人東山へ登つて見た。何の風情もない、饅頭笠《まんぢうがさ》を伏せた様な芝山で、逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1−92−52]《うねくね》した径《みち》が嶺《いただき》に尽きると、太い杉の樹が矗々《すくすく》と、八九本立つてゐて、二間四方の荒れ果てた愛宕神社の祠《ほこら》。
 その祠の階段《だん》に腰を掛けると、此処よりは少許《すこし》低目の、同じ形の西山に真面《まとも》に対合《むかひあ》つた。間が浅い凹地《くぼち》になつて、浮世の廃道と謂つた様な、塵白く、石多い、通行《とほり》少い往還が、其底を一直線《ましぐら》に貫いてゐる。両《ふたつ》の丘陵《おか》は中腹から耕されて、夷《なだら》かな勾配を作つた畑が家々の裏口まで迫つた。村が一目に瞰下《みおろ》される。
 その往還にも、昔は、電信柱が行儀よく列んで、毎日|午《ひる》近くなると、調子面白い喇叭《ラツパ》の音を澄んだ山国《さんごく》の空気に響かせて、赤く黄く塗つた円太郎馬車が、南から北から、勇しくこの村に躍込んだものだ。その喇叭の音は、二十年来|礑《はた》と聞こえず
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