自然主義が自然主義のみで完了するものでないといふ議論は、其處からも確實に認められなければならない。隨つて、今日及び今日以後の文壇の主潮を、自然主義の連續であると見、ないと見るのは、要するに、實に唯一種の名義爭ひでなければならない。自然主義者は明確なる反省を以て、今、其の最初の主張と文藝の本性とを顧慮すべきである。そして其の主張が文藝上に働き得るところの正當なる範圍を承認すると共に、今日までの運動の經過と、それが今日以後に及ぼすところの効果に就いて滿足すべきである。
それは何れにしても、文學の境地と實人生との間に存する間隔は、如何に巧妙なる外科醫の手術を以てしても、遂に縫合する事の出來ぬものであつた。假令我々が國と國との間の境界を地圖の上から消して了ふ時はあつても、此の間隔だけは何うする事も出來ない。
それあるが爲に、蓋し文學といふものは永久に其の領土を保ち得るのであらう。それは私も認めない譯には行かない。が又、それあるが爲に、特に文學者のみの經驗せねばならぬ深い悲しみといふものがあるのではなからうか。そして其の悲みこそ、實に彼の多くの文學者の生命を滅すところの最大の敵ではなから
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