なるものか!』さう自分で自分を叱つて、私はまた散りさうになる心を爲事に集る。其の時、假令其の爲事が詰らぬ仕事であつても、私には何の慾もない。不平もない。頭腦と眼と手と一緒になつて、我ながら驚くほど敏活に働く。
實に好い氣持だ。『もつと、もつと、もつと急がしくなれ。』と私は思ふ。
やがて一しきり其の爲事が濟む。ほつと息をして煙草をのむ。心よく腹の減つてる事が感じられる。眼にはまだ今迄の急がしかつた有樣が見えてゐる樣だ。『ああ、もつと急がしければ可かつた!』と私はまた思ふ。
私は色々の希望を持つてゐる。金も欲しい、本も讀みたい、名聲も得たい。旅もしたい、心に適つた社會にも住みたい、自分自身も改造したい、其他數限りなき希望はあるけれども、然しそれ等も、この何にまれ一つの爲事の中に沒頭してあらゆる慾得を忘れた樂みには代へ難い。――と其の時思ふ。
家へ歸る時間となる。家へ歸つてからの爲事を考へて見る。若し有れば私は勇んで歸つて來る。が、時として差迫つた用事の心當りの無い時がある。『また詰らぬ考へ事をせねばならぬのか!』といふ厭な思ひが起る。『願はくば一生、物を言つたり考へたりする暇もなく、朝から晩まで働きづめに働いて、そしてバタリと死にたいものだ。』斯ういふ事を何度私は電車の中で考へたか知れない。時としては、把手《ハンドル》を握つたまま一秒の弛みもなく眼を前方に注いで立つてゐる運轉手の後姿を、何がなしに羨ましく尊く見てゐる事もあつた。
――斯うした生活のある事を、私は一年前まで知らなかつた。
然し、然し、時あつて私の胸には、それとは全く違つた心持が卒然として起つて來る。恰度忘れてゐた傷の痛みが俄かに疼《うづ》き出して來る樣だ。抑へようとしても抑へきれない、紛らさうとしても紛らしきれない。
今迄明かつた世界が見る間に暗くなつて行く樣だ。樂しかつた事が樂しくなくなり、安んじてゐた事が安んじられなくなり、怒らなくても可い事にまで怒りたくなる。目に見、耳に入る物一つとして此の不愉快を募らせぬものはない。山に行きたい、海に行きたい、知る人の一人もゐない國に行きたい、自分の少しも知らぬ國語を話す人達の都に紛れ込んでゐたい……自分といふ一生物の、限りなき醜さと限りなき愍然さを心ゆく許り嘲つてみるのは其の時だ。
[#地から1字上げ](明治43[#「43」は縦中横]・6「新小説」十五ノ六)
底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
初出:「新小説 十五ノ六」
1910(明治43)年6月
入力:蒋龍
校正:小林繁雄
2009年8月11日作成
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