海、ああこの大陸的な未開の天地は、いかに雄心勃々《ゆうしんぼつぼつ》たる天下の自由児を動かしたであろう。彼らは皆その住み慣れた祖先|墳墓《ふんぼ》の地を捨てて、勇ましくも津軽の海の速潮を乗りきった。
 予もまた今年の五月の初め、漂然《ひょうぜん》として春まだ浅き北海の客となった一人である。年若く身は痩《や》せて心のままに風と来り風と去る漂遊の児であれば、もとより一攫千金《いっかくせんきん》を夢みてきたのではない。予はただこの北海の天地に充満する自由の空気を呼吸せんがために、津軽の海を越えた。自由の空気! 自由の空気さえ吸えば、身はたとえ枯野の草に犬のごとく寝るとしても、空長しなえに蒼《あお》く高くかぎりなく、自分においていささかの遺憾《いかん》もないのである。
 初めて杖を留めた凾館《はこだて》は、北海の咽喉《のど》といわれて、内地の人は函館を見ただけですでに北海道そのものを見てしまったように考えているが、内地に近いだけそれだけほとんど内地的である。新開地の北海道で内地的といえば、説明するまでもなく種々の死法則のようやく整頓《せいとん》されつつあることである。青柳町の百二十余日、予はついに満足を感ずることができなかった。
 八月二十五日夜の大火は、函館における背自然の悪徳を残らず焼き払った天の火である。予は新たに建てらるべき第二の函館のために祝福して、秋風とともに焼跡を見捨てた。
 札幌に入って、予は初めて真の北海道趣味を味うことができた。日本一の大原野の一角、木立の中の家|疎《まばら》に、幅広き街路に草|生《は》えて、牛が啼く、馬が走る、自然も人間もどことなく鷹揚《おうよう》でゆったりして、道をゆくにも内地の都会風なせせこましい歩きぶりをしない。秋風が朝から晩まで吹いて、見るもの聞くもの皆おおいなる田舎町の趣きがある。しめやかなる恋のたくさんありそうな都、詩人の住むべき都と思うて、予はかぎりなく喜んだのであった。
 しかし札幌にまだ一つ足らないものがある、それはほかでもない。生命の続く限りの男らしい活動である。二週日にして予は札幌を去った。札幌を去って小樽《おたる》に来た。小樽に来て初めて真に新開地的な、真に植民的精神の溢《あふ》るる男らしい活動を見た。男らしい活動が風を起す、その風がすなわち自由の空気である。
 内地の大都会の人は、落し物でも探すように眼をキョロ
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