の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]に抱いてゐて?』
『否、孃ちやん、サア、お土産を買つて來て下さいツて、マア何とも仰しやらない!』
と言ひながら、耐らないと言つた態《ふう》に頬擦りをする。赤兒を可愛がる處女には男の心を擽《くすぐ》る樣な點《ところ》がある。私は二三歩眞佐子に近づいたが、氣がつくと玄關にはまだ妻が立つてるので、其儘門外へ出て了つた。
歸つて來た時は、小樽へ歸る私の妻を停車場まで見送りに行つた眞佐子も、今し方歸つた許りといふところであつた。その晩は、立見君は牧師の家に出かけて行つたので、私は室にゐて手紙などを書いた。茶の間からは女達の話聲が聞える。眞佐子は私の子供の可愛かつた事を頻りに數へ立てゝてゐる、立見君の細君もそれに同じてはゐたが、何となく氣の乘らぬ聲であつた。
翌日は社に出てから初めての日曜日、休みではないが、明くる朝の新聞は四頁なので四時少し前に締切になつた。後藤君はその日缺勤した。歸つて來て寢ころんでゐると、後藤君が相變らずの要領を得ない顏をして入つて來て、
『少し相談があるから、今夜七時半に僕の下宿へ來給へ。僕は他《よそ》を廻つてそれ迄に歸つてるから。』
と言つて出て行つた。直ぐ戻つて來て私を玄關に呼出すから、何かと思ふと、
『君、祕密な話だから、一人で來てくれ給へ。』
『好し、一體何だね? 何か事件が起つたのかね?』
『君、聲が高いよ。大に起つた事があるさ。吾黨の大事だ。』と、黄色い齒を出しかけたが、直ぐムニャ/\と口を動かして、『兎に角來給へ。成るべく僕の處へ來るのを誰にも知らせない方が好いな。』
そして右の肩を揚げ、薄い下駄を引擦る樣にして出て行つて了つた。「よく祕密にしたがる男だ!」と私は思つた。
私はその晩の事が忘られない。
夕飯が濟むと、立見君と目形君は、教會に行くと言つて、私にも同行を勸めた。私は社長の宅へ行く用があると言つて斷つた。そして約束の時間に後藤君の下宿へ行つた。
座にはS――新聞の二面記者だといふ男がゐた。後藤君は私を其男に紹介した。私は、その男が所謂「祕密の相談」に關係があるのか、無いのか、一寸判斷に困つた。片目の小さい、始終唇を甜め廻す癖のある、鼻の先に新聞記者がブラ下つてる樣な擧動《やうす》や物言ひをする、可厭《いや》な男であつた。
少し經つと、後藤君は私に、
『君は既う先に行つたのかと思つてゐた。よく誘つて呉れたね。』
これで了解《のみこ》めたから、私も可《いい》加減にバツを合せた。そして、
『まだ七時頃だらうね?』
『奈何《どう》して、奈何して、既う君八時ぢやないか知ら。』
『待ち給へ。』とS――新聞の記者が言つて、帶の間の時計を出して見た。『七時四十分。何處かへ行くのかね?』
『あゝ、七時半までの約束だつたが――』
『然うか。それでは僕の長居が邪魔な譯だね。近頃は方々で邪魔にしやがる。處で行先は何處だ?』
『ハハヽヽ。然う一々|他《ひと》の行先に干渉しなくても可いぢやないか。』
『祕《かく》すな! 何有《なあに》、解つてるよ、確乎《ちやん》と解つてるよ。高が君等の行動が解らん樣では、これで君、札幌は狹くつても新聞記者の招牌《かんばん》は出されないからね。』
『凄じいね。ところで今夜はマアそれにして置くから、お慈悲を以て、これで御免を蒙らして頂かうぢやないか?』
『好し、好し、今歸つてやるよ。僕だつて然う沒分曉漢《わからずや》ではないからね、先刻御承知の通り。處でと――』と、腕組をして凝乎《ぢつ》と考へ込む態をする。
『何を考へるのだ、大先生?』
『マ、マ、一寸待つてくれ。』
『金なら持つてないぜ。』
『畜生奴! ハハヽヽ、先《せん》を越しやがつた。何有、好し、好し、まだ二三軒心當りがある。』
『それは結構だ。』
『冷評《ひやか》すない。これでも△△さんでなくては夜も日も明けないツて人が待つてるんだからね。然うだ、金崎の處へ行つて三兩許り踏手繰《ふんだくつ》てやるか。――奈何《どう》だい、出懸けるなら一緒に出懸けないか?』
『何有《なあに》、惡い處へは行かないから、安心して先に出て呉れ給へ。』
『莫迦に僕を邪魔にする! が、マア免《ゆる》して置け。その代り儲かつたら、割前を寄越さんと承知せんぞ。左樣なら。』
そして室を出しなに後を向いて、
『君等ア薄野《すゝきの》(遊廓)に行くんぢやないのか?』と狐疑《うたぐり》深い目付をした。
その男を送出して室に歸ると、後藤君は落膽《がつかり》した樣な顏をして眉間に深い皺を寄せてゐた。
『遂々《とう/\》追出してやつた、ハハヽヽ。』と笑ひ乍ら座つたが、張合の拔けた樣な笑聲であつた。そして、
『あれで君、彼奴はS――社中では敏腕家なんだ。』
『可厭《いや》な奴だねえ。』
『君は案外人嫌ひをする樣
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