て、右の肩を揚げ、薄い下駄を引擦る様にして出て行つて了つた。「よく秘密にしたがる男だ!」と私は思つた。
 私はその晩の事が忘られない。
 夕飯が済むと、立見君と目形君は教会に行くと言つて、私にも同行を勧めた。私は社長の宅へ行く用があると言つて断つた。そして約束の時間に後藤君の下宿へ行つた。
 座にはS――新聞の二面記者だといふ男がゐた。後藤君は私を其男に紹介《ひきあは》せた。私は、その男が所謂「秘密の相談」に関係があるのか、無いのか、一寸判断に困つた。片目の小さい、始終《しよつちゆう》唇を甜《な》め廻す癖のある、鼻の先に新聞記者がブラ下つてる様な挙動《やうす》や物言ひをする、可厭《いや》な男であつた。
 少し経つと、後藤君は私に、
『君は既《も》う先に行つたのかと思つてゐた。よく誘つて呉れたね。』
 これで了解《のみこ》めたから、私も可《いい》加減にバツを合せた。そして、
『まだ七時頃だらうね?』
『奈何《どう》して、奈何して、既《も》う君八時ぢやないか知ら。』
『待ち給へ。』とS――新聞の記者が言つて、帯の間の時計を出して見た。『七時四十分。何処かへ行くのかね?』
『あゝ、七時半までの約束だつたが――』
『然うか。それでは僕の長居が邪魔な訳だね。近頃は方々で邪魔にしやがる。処で行先は何処だ?』
『ハハヽヽ。然う一々|他《ひと》の行先に干渉しなくても可いぢやないか。』
『秘《かく》すな! 何有《なあに》、解つてるよ、確乎《ちやん》と解つてるよ。高が君等の行動が解らん様では、これで君、札幌はいくら狭くつても新聞記者の招牌《かんばん》は出されないからね。』
『凄じいね。ところで今夜はマアそれにして置くから、お慈悲を以てこれで御免を蒙らして頂かうぢやないか?』
『好し、好し。今帰つてやるよ。僕だつて然う没分暁漢《わからずや》ではないからね、先刻御承知の通り。処でと――』と、腕組をして凝乎《じつ》と考へ込む態《ふう》をする。
『何を考へるのだ、大先生?』
『マ、マ、一寸待つてくれ。』
『金なら持つてないぜ。』
『畜生奴! ハハヽヽ、先を越しやがつた。何有《なあに》、好し、好し、まだ二三軒心当りがある。』
『それは結構だ。』
『冷評《ひやか》すない。これでも△△さんでなくては夜も日も明けないツて人が待つてるんだからね。然うだ、金崎の処へ行つて三両許り踏手繰《ふんだくつ》てやる
前へ 次へ
全13ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング