つ》死の都、見よ。

かくやくの夏の日は、今
子午線の上にかかれり。

何方《いづかた》ゆ流れ来ぬるや、黒星よ、真北の空に
飛ぶを見ぬ。やがて大路の北の涯《はて》、天路に聳《そそ》る
層楼の屋根にとまれり。唖唖《ああ》として一声、――これよ
凶鳥《まがどり》の不浄の烏《からす》。――骨あさる鳥なり、はたや、
死の空にさまよひ叫ぶ怨恨《ゑんこん》の毒嘴《どくはし》の鳥。

鳥啼《な》きぬ、二度。――いかに、其声の猶《なほ》終らぬに、
何方ゆ現れ来しや、幾尺の白髪かき垂れ、
いな光る剣捧《ささ》げし童顔の翁《おきな》あり。ああ、
黒長裳《くろながも》静かに曳《ひ》くや、寂寞の戸に反響《こだま》して、
沓《くつ》の音全都に響き、唯一人大路を練れり。
有りとある磁石の針は
子午線の真北を射せり。


  角笛《つのぶえ》

みちのくの谷の若人、牧の子は
若葉衣の夜心に、
赤葉の芽ぐみ物燻《く》ゆる五月《さつき》の丘の
柏《かしは》木立をたもとほり、
落ちゆく月を背に負ひて、
東白《しののめ》の空のほのめき――
天《あめ》の扉《と》の真白き礎《もと》ゆ湧く水の
いとすがすがし。――
ひたひたと木陰地《こさぢ》に寄せて、
足もとの朝草小露明らみぬ。
風はも涼《すず》し。
みちのくの牧の若人露ふみて
もとほり心角《くだ》吹けば、
吹き、また吹けば、
渓川《たにがは》の石津瀬《いはつせ》はしる水音も
あはれ、いのちの小鼓《こつづみ》の鳴の遠音《とほね》と
ひびき寄す。
ああ静心《しづごころ》なし。
丘のつづきの草の上《へ》に
白き光のまろぶかと
ふとしも動く物の影。――
凹《くぼ》みの埓《かこひ》の中に寝て、
心うゑたる暁の夢よりさめし
小羊の群は、静かにひびき来る
角の遠音にあくがれて、
埓こえ、草をふみしだき、直《ひた》に走りぬ。
暁の声する方《かた》の丘の辺《へ》に。――
ああ歓《よろこ》びの朝の舞、
新乳《にひち》の色の衣して、若き羊は
角ふく人の身を繞《めぐ》り、
すずしき風に啼《な》き交《かは》し、また小躍《こをど》りぬ。
あはれ、いのちの高丘に
誰ぞ角吹かば、
我も亦《また》この世の埓をとびこえて、
野ゆき、川ゆき、森をゆき、
かの山越えて、海越えて、
行かましものと、
みちのくの谷の若人、いやさらに
角吹き吹きて、静心なし。


  年老いし彼は商人

年老いし彼は商人《あきびと》。
靴《くつ》、鞄《かばん》、帽子、革帯《かはおび》、
ところせく列《なら》べる店に
坐り居て、客のくる毎《ごと》、
尽日《ひねもす》や、はた、電燈の
青く照る夜も更《ふ》くるまで、
てらてらに禿《は》げし頭を
礼《ゐや》あつく千度《ちたび》下げつつ、
なれたれば、いと滑《なめ》らかに
数数の世辞をならべぬ。
年老いし彼はあき人。
かちかちと生命《いのち》を刻む
ボンボンの下の帳場や、
簿記台《ぼきだい》の上に低《た》れたる
其《その》頭、いと面白《おもしろ》し。

その頭低《た》るる度毎《たびごと》、
彼が日は短くなりつ、
年こそは重みゆきけれ。
かくて、見よ、髪の一条《ひとすぢ》
落ちつ、また、二条、三条、
いつとなく抜けたり、遂《つひ》に
面白し、禿げたる頭。
その頭、禿げゆくままに、
白壁の土蔵《どざう》の二階、
黄金の宝の山は
(目もはゆし、暗《やみ》の中にも。)
積まれたり、いと堆《うづた》かく。

埃及《エジプト》の昔の王は
わが墓の大《だい》金字塔《ピラミド》を
つくるとて、ニルの砂原、
十万の黒兵者《くろつはもの》を
二十年《はたとせ》も役《えき》せしといふ。
年老いしこの商人《あきびと》も
近つ代の栄の王者、
幾人の小僧つかひて、
人の見ぬ土蔵の中に
きづきたり、宝の山を。――
これこそは、げに、目もはゆき
新世《あらたよ》の金字塔《ピラミド》ならし、
霊魂《たましひ》の墓の標《しるし》の。


  辻

老いたるも、或は、若きも、
幾十人、男女や、
東より、はたや、西より、
坂の上、坂の下より、
おのがじし、いと急《せは》しげに
此処《ここ》過ぐる。
今わが立つは、
海を見る広き巷《ちまた》の
四の辻。――四の角なる
家は皆いと厳《いか》めしし。
銀行と、領事の館《やかた》、
新聞社、残る一つは、
人の罪嗅《か》ぎて行くなる
黒犬を飼へる警察。

此処過ぐる人は、見よ、皆、
空高き日をも仰《あふ》がず、
船多き海も眺めず、
ただ、人の作れる路《みち》を、
人の住む家を見つつぞ、
人とこそ群れて行くなれ。
白髯《はくぜん》の翁《おきな》も、はたや、
絹傘《きぬがさ》の若き少女《をとめ》も、
少年も、また、靴鳴らし
煙草《たばこ》吹く海産商も、
丈《たけ》高き紳士も、孫を
背に負へる痩《や》せし媼《おうな》も、
酒肥《さかぶと》り、
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