さけび声……
海には信夫翁《あはうどり》の疫病……
あ、大工《だいく》の家では洋燈《ランプ》が落ち、
大工の妻が跳《と》び上る。
騎馬の巡査
絶間《たえま》なく動いてゐる須田町の人込《ひとごみ》の中に、
絶間なく目を配って、立ってゐる騎馬《きば》の巡査――
見すぼらしい銅像のやうな――。
白痴の小僧は馬の腹をすばしこく潜《くぐ》りぬけ、
荷を積み重ねた赤い自動車が
その鼻先を行く。
数ある往来の人の中には
子供の手を曳《ひ》いた巡査の妻もあり
実家《さと》へ金借りに行った帰り途《みち》、
ふと此《こ》の馬上の人を見上げて、
おのが夫の勤労を思ふ。
あ、犬が電車に轢《ひ》かれた――
ぞろぞろと人が集る。
巡査も馬を進める……
はてしなき議論の後(一)
暗き、暗き曠野《くわうや》にも似たる
わが頭脳の中に、
時として、電《いなづま》のほとばしる如《ごと》く、
革命の思想はひらめけども――
あはれ、あはれ、
かの壮快《さうくわい》なる雷鳴《らいめい》は遂《つひ》に聞え来らず。
我は知る、
その電に照し出さるる
新しき世界の姿を。
其処《そこ》にては、物みなそのところを得べし。
されど、そは常に一瞬にして消え去るなり、
しかして、この壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。
暗き、暗き曠野にも似たる
わが頭脳の中に
時として、電のほとばしる如く、
革命の思想はひらめけども――
はてしなき議論の後(二)
われらの且《か》つ読み、且つ議論を闘《たたか》はすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜《ロシア》の青年に劣らず。
われらは何を為《な》すべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳《こぶし》に卓《たく》をたたきて、
'V NAROD ! '《ヴナロード》と叫び出づるものなし。
われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、
また、民衆の求むるものの何なるかを知る、
しかして、我等の何を為すべきかを知る。
実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
'V NAROD !' と叫び出づるものなし。
此処《ここ》にあつまれる者は皆青年なり、
常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。
われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂《つひ》に勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
'V NAROD !'と叫び出づるものなし。
ああ、蝋燭《らふそく》はすでに三度も取りかへられ、
飲料《のみもの》の茶碗《ちやわん》には小さき羽虫の死骸《しがい》浮び、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
'V NAROD ! 'と叫び出づるものなし。
ココアのひと匙《さじ》
われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪《うば》はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲《な》げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有《も》つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷《さ》めたるココアのひと匙《さじ》を啜《すす》りて、
そのうすにがき舌触《したざは》りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
書斎の午後
われはこの国の女を好まず。
読みさしの舶来の本の
手ざはりあらき紙の上に、
あやまちて零《こぼ》したる葡萄酒《ぶだうしゆ》の
なかなかに浸《し》みてゆかぬかなしみ。
われはこの国の女を好まず。
激論
われはかの夜の激論を忘るること能《あた》はず、
新らしき社会に於《お》ける「権力」の処置に就《つ》きて、
はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと
我との間に惹《ひ》き起されたる激論を、
かの五時間に亙《わた》れる激論を。
「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家《せんどうか》の言なり。」
かれは遂《つひ》にかく言ひ放ちき。
その声はさながら咆《ほ》ゆるごとくなりき。
若《も》しその間に卓子《テエブル》のなかりせば、
かれの手は恐らくわが頭《かうべ》を撃ちたるならむ。
われはその浅黒き、大いなる顔の
男らしき怒りに漲《みなぎ》れるを見たり。
五月の夜はすでに一時なりき。
或《あ》る一人の立ちて窓を明けたるとき、
Nとわれとの間なる蝋燭《らふそく》の火は幾度か揺れたり。
病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬《ほほ》に、
雨をふくめる夜風の爽《さはや》かなりしかな。
さてわれは、また、かの夜の、
われらの会合に常にただ一人の婦人なる
Kのしなやか
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