さきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子《いす》も。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし毎《ごと》に少しづつ変へし間取《まど》りのさまなどを
心のうちに描きつつ、
ラムプの笠《かさ》の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に添乳《そへぢ》する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑《ゑ》みものぼり来る。

さて、その庭は広くして、草の繁《しげ》るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は其処《そこ》に出て、
かの煙濃く、かをりよき埃及《エジプト》煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁を切りかけて、
食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく若き日にわかれ来りて、
月月のくらしのことに疲れゆく、
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも、
なつかしくして、何時《いつ》までも棄《す》つるに惜しきこの思ひ、
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空《むな》しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、
妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。


  飛行機
[#地から2字上げ]一九一一・六・二七・TOKYO

見よ、今日も、かの蒼空《あをぞら》に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。



底本:「日本の文学15」中央公論
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