夢の中の事実だ。それで君、ニコライの会堂の屋根を冠《かぶ》った俳優《やくしゃ》が、何十億の看客を導いて花道から案内して行くんだ』
『花道から看客を案内するのか?』
『そうだ。其処《そこ》が地球と違ってるね』
『其処ばかりじゃない』
『どうせ違ってるさ。それでね、僕も看客の一|人《にん》になってその花道を行ったとし給え。そして、並んで歩いてる人から望遠鏡を借りて前の方を見たんだがね、二十里も前の方にニコライの屋根の尖端《あたま》が三つばかり見えたよ』
『アッハハハ』
『行っても、行っても、青い壁だ。行っても、行っても、青い壁だ。何処《どこ》まで行っても青い壁だ。君、何処まで行ったって矢張《やっぱり》青い壁だよ』
『舞台を見ないうちに夜《よ》が明けるだろう?』
『それどころじゃない、花道ばかりで何年とか費《かか》るそうだ』
『好《い》い加減にして幕をあけ給え』
『だって君、何処まで行っても矢張《やはり》青い壁なんだ』
『戯言《じょうだん》じゃないぜ』
『戯言じゃないさ。そのうちに目が覚めたから夢も覚めて了《しま》ったんだ。ハッハハ』
『酷《ひど》い男だ、君は』
『だってそうじゃないか。そう何年も続けて夢を見ていた日にゃ、火星の芝居が初まらぬうちに、俺の方が腹を減らして目出度《めでたく》大団円になるじゃないか、俺だって青い壁の涯《はて》まで見たかったんだが、そのうちに目が覚めたから夢も覚めたんだ』



底本:「石川啄木集(下)」新潮文庫、新潮社
   1950(昭和25)年7月15日発行
   1970(昭和45)年6月15日25刷改版
   1991(平成3)年3月5日48刷
底本の親本:「啄木全集」筑摩書房
   1967(昭和42)年〜1968(昭和43)年
入力:番 裕子
校正:鈴木厚司
2004年8月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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