て存在の權利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。
○故獨歩は嘗てその著名なる小説の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくない事はない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今(驚きたくない)と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない。又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歴史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出來事に對して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百囘「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。
○歴史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に將來に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋をする時、其保守的な概念を嚴密に究明して來たならば、日本が嘗て議會を開いた事からが先ず國體に牴觸する譯になりはしないだらうか。我々の歌の形式は萬葉以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何處までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何處までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。
(四)
○机の上に片肘《かたひじ》をついて煙草を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてゐた。――凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて來た時、我々はその不便な點に對して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう爲るのが本當だ。我々は他の爲に生きてゐるのではない、我々は自身の爲に生きてゐるのだ。たとへば歌にしてもそうである。我々は既に一首の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて來た。其處でこれは歌それ/″\の調子に依つて或歌は二行に或歌は三行に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子そのものを破ると言はれるにしてからが、その在來《ざいらい》の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて來たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十一文字といふ制限《せいげん》が不便な場合にはどし/″\字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束《こうそく》を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜《あいせき》する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。假に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那《せつな》々々の生命を愛惜する心を滿足させることが出來る。
○こんな事を考へて、恰度秒針が一囘轉する程の間、私は凝然《ぢつ》としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。――私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壺の位置とそれから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の眞に私に不便を感じさせ苦痛を感じさせるいろ/\の事に對しては、一指をも加へることが出來ないではないか。否、それに忍從《にんじう》し、それに屈伏《くつぷく》して、慘《いた》ましき二重の生活を續けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に辯解《べんかい》しては見るものゝ、私の生活は矢張現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識賣買制度の犧牲である。
○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。(四十三年十二月)
[#地から1字上げ](明43[#「43」は縦中横]・12[#「12」は縦中横]・10[#「10」は縦中横]―20[#「20」は縦中横]「東京朝日新聞」)
底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
初出:「東京朝日新聞」
1910(明治43)年12月10日〜20日
入力:蒋龍
校正:小林繁雄
2009年8月11日作成
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