んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜《あいせき》する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。假に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那《せつな》々々の生命を愛惜する心を滿足させることが出來る。
○こんな事を考へて、恰度秒針が一囘轉する程の間、私は凝然《ぢつ》としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。――私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壺の位置とそれから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の眞に私に不便を感じさせ苦痛を感じさせるいろ/\の事に對しては、一指をも加へることが出來ないではないか。否、それに忍從《にんじう》し、それに屈伏《くつぷく》して、慘《いた》ましき二重の生活を續けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に辯解《べんかい》しては見るものゝ、私の生活は矢張現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識賣買制度の犧牲である。
○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。(四十三年十二月)
[#地から1字上げ](明43[#「43」は縦中横]・12[#「12」は縦中横]・10[#「10」は縦中横]―20[#「20」は縦中横]「東京朝日新聞」)



底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
   1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1910(明治43)年12月10日〜20日
入力:蒋龍
校正:小林繁雄
2009年8月11日作成
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