がて容器に一杯になつた時、「これでいくらです。」と聞いた。「恰度一升です。」と醫師は靜かに答へた。
 一人の雜使婦は手早くそれを別の容器に移した。濃黄色の液體はそれでもまだ流れ落ちた。さうして殆んどまた容器の半分位にまで達した時、予は予の腹がひとり手《で》に極めて緩漫な運動をして縮んでゆくのを見た。同時に予の頭の中にある温度が大急ぎで下に下りて來るやうに感じた。何かかう非常に遠い處から旅をして來たやうな氣分であつた。頭の中には次第に寒い風が吹き出した。「どうも餘り急に腹が減つたんで、少しやりきれなくなりました。」と予は言つた。言つてさうして自分の聲のいかにも力ない、情ない聲であつたことに氣がついた。そこで直ぐまた成るたけ太い聲を出して、「何か食ひたいやうだなあ。」と言つた。しかしその聲は先の聲よりも更に情ない聲であつた。四邊は俄かに暗く淋しくなつて行つた。目の前にゐる看護婦の白服が三十間も遠くにあるものゝやうに思はれた。「目まひがしますか?」といふ醫者の聲が遠くから聞えた。
 後で聞けばその時の予の顏は死人のそれの如く蒼かつたそうである。しかし予は遂に全く知覺を失ふことが出來なかつた。
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