ふものに入つて見たいと眞面目に思つたことがあつた。蓋し病氣にでもなる外には、予は予の忙がしい生活の壓迫から一日の休息をも見出すことが出來なかつたのである。予は予のかういふ弱い心を殊更に人に告げたいとは思はない。
しかし兎も角も予のその悲しい願望が、遂に達せられる時機が來たのである。既に知らした如く、予は今月の四日を以てこの大學病院の客となつた。何年の間殆ど寧日なき戰ひを續けて來て、何時となく痩せ且つ疲れた予の身體と心とは、今安らかに眞白な寢臺の上に載つてゐる。
休息――しかし困つた事には、予の長く忙がしさに慣れて來た心は、何時の間にか心ゆくばかり休息といふことを味ふに適しないものになつてゐた。何かしなくては一日の生命を保ちがたい男の境遇よりもまだみじめである。予は予のみじめなる心を自ら慰める意味を以て……そのみじめなる心には、餘りに長過ぎる予の時間を潰す一つの方法としてこの手紙を書き出して見たのである。
二
郁雨君足下、
予は今病人である。しかしながら何うも病人らしくない病人である。予の現在の状態を仔細に考へて見るに、成程腹は膨れてゐる。膨れてはゐるけれども痛くはない。さうして腹の膨れるといふことは、中學時代に友人と競走で薯汁飯を食つた時にもあつたことである。たゞそれが長く續いてゐるといふに過ぎない。それから日に三度粥を食はされる。かゆを食ふといふと如何にも病人らしく聞えるが、實はその粥も與へられるだけの分量では始終不足を感ずる位の病人だから、自分ながら餘り同情する所がない。晝夜二囘の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]診の時は、醫者は定《きま》つて「變りはありませんか?」と言ふ。予も亦定つて「ありません」と答へる。
「氣分は?」
「平生《ふだん》の通りです。」
醫者はコツ/\と胸を叩き、ボコ/\と腹を叩いてみてさうして予の寢臺を見捨てゝ行く。彼に未だかつて予に對して眉毛の一本も動かしたことがない。予も亦彼に對して一度も哀憐《あはれみ》を乞ふが如き言葉を出したことがない。予にも他の患者のやうに、色々の精巧な機械で病身の測量をしたり、治療をして貰ひたい好奇心がないではないが、不幸にして予の身體にはまださういふ事を必要とするやうな病状が一つもないのである。入院以來硝子の容器に取ることになつてゐる尿の量も、段々健康な人と相違がなくなつて來た。
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