旨の如何に拘らず、實際彼等にとつては思ひがけざる有力の援軍を得たやうに感じられたに違ひない。さうして又、一言一句の末にまで容赦なき拘束を受けて、何事に限らず、その思ふ所をそのままに言ふことを許されない境遇にゐた彼等は、翁の大膽なる論文とその大膽を敢てし得る勢力とに對して、限りなき羨望の情を起さざるを得なかつたに違ひない。「而して吾人が特に本論に於て、感嘆崇敬措く能はざる所の者は、彼が戰時に於ける一般社會の心的及び物的情状を觀察評論して、露國一億三千萬人、日本四千五百萬人の、曾て言ふこと能はざる所を直言し、決して寫す能はざる所を直寫して寸毫の忌憚する所なきに在り。」これ實に彼等我が日本に於ける不幸なる人道擁護者の眞情であつた。
然しながら彼等は社會主義者であつた。さうして又明白に社會主義者たる意識をもつてゐた。故にかの記者は、翁の説く所の戰爭の起因及びその救治の方法の、あまりに單純に、あまりに正直に、さうしてあまりに無計畫なるを見ては、「單に如此《かくのごと》きに過ぎずとせば、吾人豈失望せざるを得んや。何となれば、是れ恰も『如何にして富むべきや』てふ問題に對して、『金を得るに在り』と答ふるに均しければ也。是れ現時の問題を解決し得るの答辯にあらずして、唯だ問題を以て問題に答ふる者に非ずや。」と叫ばざるを得なかつた。(人は盡く夷齊《いせい》に非ず。單に『悔改めよ』と叫ぶこと、幾千萬年なるも、若しその生活の状態を變じて衣食を足らしむるに非ずんば、其|相喰《あひは》み、相搏《あひう》つ、依然として今日の如けんのみ)これは唯物史觀の流れを汲む人々の口から、當然出ねばならぬ言葉であつた。かくてかの記者は進んで彼等自身の戰爭觀を概説し、「要するにトルストイ翁は、戰爭の原因を以て個人の墮落に歸す、故に悔改めよと教へて之を救はんと欲す。吾人社會主義者は、戰爭の原因を以て經濟的競爭に歸す、故に經濟的競爭を廢して之を防遏せんと欲す。」とし、以て兩者の相和すべからざる相違を宣明せざるを得なかつた。
この宣明は、然しながら、當時の世人から少しも眼中に置かれなかつた。この一事は、他の今日までに我々に示された幾多の事實と共に、日本人――文化の民を以て誇稱する日本人の事實を理解する力の如何に淺弱に、さうしてこの自負心強き民族の如何に偏狹なる、如何に獨斷的なる、如何に厭ふべき民族なるかを語るもので
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