」徳富氏は急に更まった相手の容子に眼を光らせた。
「実は今度の御紀行の出版は、是非私どもの方に……。」
 その言葉を押えつけるように、徳富氏は大きな掌面《てのひら》を相手の鼻さきでふった。
「待って下さい、その話は。私暫く考えて返事しますから。」
 徳富氏はこういい捨てておいて、大跨に船室の方へあるいて行った。
 ものの一時間も経つと、徳富氏はのっそりとK氏の待っている室へ入って来た。
「Kさん。あなたさっき門司からの帰りには、薄田君を訪ねるといってましたね。」
「ええ、訪ねます。何か御用でもおありでしたら……。」
「じゃ、御面倒ですが、これをお渡し下さい。」徳富氏はふところから手紙を一通取出した。「それから、あなたには……。」
 K氏は何かを待設けるもののように胸を躍らせた。
「あなたにはいいものを上げます。私の原稿よりかもずっといい……。」
「何でしょう。原稿よりかもいいものというと……。」
 K氏は顔一ぱいに微笑をたたえた。それを見下すように前に立ちはだかった徳富氏は、宣教師のようにもの静かな、どこかに力のこもった声でいった。
「神をお信じなさい。ただそれだけです。」
「神を……
前へ 次へ
全242ページ中86ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング