るべく赤い花をつかわないようにする。――これは脚本家が何よりも先に心がけなければならぬことである。強い赤の色は、どうかすると観客の注意を乱していけないから。」
 これは舞台監督として聞えたダヴィッド・ベラスコの言葉であるが、この監督が折角そういって気をつけているのにもかかわらず、唐辛は平気でトルコ人のような赤い帽子を被って舞台に立っているので、青一式の周囲の平和が、お蔭でどのくらい引っかきまわされているかしれない。
 唐辛は怒っているのだ。
 唐辛よ。お前は何をそんなに怒っているのか。もっと平和な気持になって、御近所の衆と一緒に静な秋を楽しんだらどうだろう。トルコ人の被りそうなそんな赤帽子は腋の下にでもそっとおし隠したらいいではないか。
 唐辛はむっとしている。
 唐辛は皮肉家だ。生れつきするどい皮肉家だ。彼は自分にさわるものには、誰にでも容捨なく持前の皮肉を投げつける。彼には「わさび」や「からし」のようなユウモリスト達が、相手に辛い皮肉を味わせながらも、同時にまた眼がしらに涙を浮べて笑いころげさせる滑稽味が欠けている。彼はどこまでも単純だ。感情が激越だ。単純で感情が激越なればこそ、皮
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