こんなことを訊いたことがあった。
「よく出逢うじゃないか。君のうちはこの近くなの。」
増野氏の答は意外だった。
「いや、違います。僕は毎日少くとも一度はこの停車場にやって来るんです。自分が人生の旅人であることを忘れまいとするためにね。」
私は笑いながらいった。
「それはいいことだ。少くとも大阪のような土地では、旅人で暮されたら、その方が一等幸福らしいね。」
「僕は時々駅前の料理屋《レストオラン》へ入って食事をしますが、そこの店のものに旅人あつかいをされると、僕自身もいつの間にかその気になって、この煤煙と雑音との都会に対して旅人としての自由な気持をとり返すことが出来るんです。僕はどんな土地にも、人生そのものにも、土着民であることを好みません。旅人であるのが性に合ってるんですよ。」
増野氏はこういって、女にしてみたいような美しい大きな眼を輝かせた。私はその眼のなかに、一片の雲のような漂泊好きな感情がちらと通り過ぎるのを見た。
4
それから二、三日して、私は友人を見送りに、梅田駅の構内に立っていた。下りの特急列車が今着いたばかりで、プラットフォオムは多数の乗客で混雑して
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