るべく赤い花をつかわないようにする。――これは脚本家が何よりも先に心がけなければならぬことである。強い赤の色は、どうかすると観客の注意を乱していけないから。」
これは舞台監督として聞えたダヴィッド・ベラスコの言葉であるが、この監督が折角そういって気をつけているのにもかかわらず、唐辛は平気でトルコ人のような赤い帽子を被って舞台に立っているので、青一式の周囲の平和が、お蔭でどのくらい引っかきまわされているかしれない。
唐辛は怒っているのだ。
唐辛よ。お前は何をそんなに怒っているのか。もっと平和な気持になって、御近所の衆と一緒に静な秋を楽しんだらどうだろう。トルコ人の被りそうなそんな赤帽子は腋の下にでもそっとおし隠したらいいではないか。
唐辛はむっとしている。
唐辛は皮肉家だ。生れつきするどい皮肉家だ。彼は自分にさわるものには、誰にでも容捨なく持前の皮肉を投げつける。彼には「わさび」や「からし」のようなユウモリスト達が、相手に辛い皮肉を味わせながらも、同時にまた眼がしらに涙を浮べて笑いころげさせる滑稽味が欠けている。彼はどこまでも単純だ。感情が激越だ。単純で感情が激越なればこそ、皮肉家なのである。
自然界のあらゆるものは性格をもっている。その性格にはそれぞれ変化があり、打開がある。たとえば柿や栗などは、初めのうちは渋いが、終いには甘くなる。蜜柑や杏のようなものは、初めのうちは酸っぱいが、終いには甘くなる。これらはそれぞれの性格の成長であり、飛躍である。悔悟であり、新生である。そんななかにたったひとり唐辛のみは、最初から終りまで同じ「からさ」の持ち続けである。何の変化もなく悔悟もない一本調子の生活ほど、気をいらだたせるものはない。日を重ねるにつれて唐辛の癇癪がいよいよ手におえなくなり、その皮肉がますますするどくなるのに何の不思議があろう。
かくして唐辛は、いつもあんなにぷんぷん怒りどおしに怒っているのである。そして偉大なる太陽もそれをどうすることが出来ないのだ。
今はもう三十年のむかしにもなろう。私が二十歳足らずの頃、早稲田鶴巻町のある下宿屋に友達を訪ねたことがあった。狭い廊下を通りかかると、障子を明けっ放しにした薄ぎたない部屋に、一人の老人が酒を飲みながら、声高に孟子を朗読しているのがあった。机の上には、小皿に唐辛を盛ったのが置いてあって、老人は時々それをつまんで、鼠のように歯音をたててかじっていた。
「誰かね、あの老人は。」
「あれが田中正造だよ。鉱毒事件で名高い……」
私はそれを聞いた瞬間、あの爺さんのはげしい癇癪を、唐辛のせいのようにも思ったことがあった。
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かまきり
秋草のなかにどかりと腰をおろして、両足を前へ投げ出したまま日向ぼっこをしていると、かさこそと草の葉を伝って、私の膝の上に這いのぼって来るものがある。見るとかまきりだ。かまきりはたった今生捕ったばかしの小さな赤とんぼを、大事そうに両手でもって胸へ抱え込んでいる。
哀れな犠牲だ。私はかろく指さきでその赤とんぼの羽に触ってみた。あわよくば助けてやりたかったのだ。かまきりは立ちとまった。要らぬおせっかいを癪にさえたらしく、胸をそらして身構えた。私はまたとんぼの尻尾に触ろうとした。それを見たかまきりは、一足しさって高く右手の鎌をふりあげた。私はまたとんぼの頭を小突いた。その一刹那かまきりは赤とんぼをふり捨てて、両手の鎌をふりかざして手向って来た。私は指さきでその草色の背を押えた。処女《きむすめ》が他人に肌を弄られたような無気味さと恥辱とに身をふるわしながら、かまきりはいきなり私の指に噛みつこうとした。私はかろくそれを弾き飛ばした。よろよろとよろけた虫は、両脚をつよくしっかりと踏みはだかって、やっと立ち直ったかと思うと、すぐまた鎌を尖らして来た。
「なかなかしぶとい奴だな。それじゃ、こうしてくれる……」
私はすきを見て、相手の細っこい首根っこを両指につまみあげようとして、その瞬間自分が今争っているのは、草色の背をした小さな秋の虫ではなく、私自身の胸の奥に巣くっている反抗心そのものであるような気がしたので、そのままそっと指を引っこめてしまった。
「反抗」の精霊よ。押えれば頭をもち上げたがる「反動」の小さな悪魔よ。澄みきった清明な秋の心の中にすみながら、お前は生れおちるとから死ぬるまで、一瞬の間も反抗と争闘との志を捨てようとはしない……
馬を見よ。馬はあの大きな図体をしながら、人間にはどこまでも従順で、いいつけられたことにはすなおに服従している。ある学者の説明によると、馬があんなに人間に従順なのは、ひとえにその眼の構造によることで、馬の眼は人間の眼よりも二十二パアセントだけものを大きく見せるように出来ているので、五尺五寸の人
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