ようにいたせ。」
「さあ、貯えると申しましたところで、あんなに沢山な水樽では……」
家来は当惑したようにいった。
「そんなに沢山持って参ったか。」
殿は物好きそうに眼を光らせた。
「はい、お城前はその水樽で身動きが出来ぬほどになっております。まだその上に次から次へと荷車が詰めかけて参りまして……」
家来は城のなかはいうまでもないこと、紀州侯の領地という領地は、すっかり水樽で埋ってしまうかのように、気味悪さに肩を顫わせた。
「そうか。河内屋めがまたいたずらしおったな。」
紀州侯はからからと声を立てて笑った。
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仙人と石
支那の唐代に、張果老という仙人がありました。恒州の中条山というところに棲んでいて、いつも旅をするときには、驢馬にまたがって一日に数万里の道程《みちのり》を往ったといいます。旅づかれで家に帰って休もうとでもする場合には、驢馬の首や脚をぽきぽきと折り曲げて畳み、便利な小型《こがた》に形をかえて持ち運んだそうです。そんなおりに、思いがけなく川に出水《でみず》があって、徒渉《かちわた》りがしにくいと、この仙人は手にさげた折畳み式の馬に水を吹きかけます。すると、驢馬は急に元気づき、曲げられた四つの脚を踏みのばして、もとの姿にかえったといいます。
あるとき、張果老が長い旅にすっかり疲れはてて、驢馬から下りて野なかの柳の蔭で憩《いこ》っていたことがあります。驢馬はその傍でうまそうに草の葉を食べ、時おり長い尻尾をふって羽虫を追っていました。
「おい、仙人どの。仙人どの。」
誰だか呼ぶ声がしたので、張果老はうつらうつらする眼をひらいてあたりを見まわしました。十月の静かなあたたかい日ざしはそこいら一杯に流れて、広い野原には自分たちの外に、何一つ生物《いきもの》の影は見えませんでした。張果老はまた睡りかけようとしました。
「おい、仙人どの。仙人どのってば。」
またしても自分を呼ぶらしい声がするので、仙人は不機嫌そうに眼をさましました。
「誰だ。わしを呼ぶのは。」
「わしだ。お前のまえに立っている石だよ。」
「なに、石だって。」
仙人はずっと向うを見ていた眼を、急に自分の脚もとに落しました。そこには白い石が立っていました。仙人は気むつかしそうに言いました。
「お前か。さっきからわしを呼んでるのは。わしは今睡りかけているところなんだ。」
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