で頭をふりふり世間を観じている蓑虫の心は、むかし周氏の父が味ったような遊びに近いものではなかろうか。
私にはそんなことが考えられる。
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松茸
1
西日のあたった台所の板敷に、五、六本の松茸が裸のままでころがっている。その一つを取り上げてみると、この菌《きのこ》特有の高い香気がひえびえと手のひらにしみとおるようだ。
ものの香気ほど聯想を生むものはない。松茸の香気を嗅いですぐに想い浮べられるものは、十月の高い空のもとに起伏する緑青色の松並木の山また丘である。馬には馬の毛皮の汗ばんだ臭みがあり、女には女の肌の白粉くさい匂いがあるように、秋の松山にはまた松山みずからの体臭がある。日光と霧と松脂《まつやに》のしずくとが細かく降注ぐ山土の傾斜、ふやけた落葉の堆積のなかから踊り出して来たこの頭の円い菌こそは、松山の赤肌に嗅がれる体臭を、遺伝的にたっぷりと持ち伝えた、ちゃきちゃきの秋の小伜である。
2
私たちの母国ほど、松の樹にめぐまれている土地は少かろう。高い山、低い山、高原、平野、畷道、または波うち際の砂浜に至るまで、どこにでも、松の樹の存在は見出される。遠いむかしに生きていたという蛟龍のような、鱗だらけの脊をして、偶に一人ぽっちで立っていないこともないが、多くの場合互に手を取り肩を並べて群生している。それも杉や樅《もみ》などと異って、群生したからといって、同じ高さで同じ恰好に成長するのではなく、集団的生活を営みながらも、持って生れた自分の本性を損わないで、めいめい勝手にわが欲するがままに背を伸ばし、手を振りかざしている。全体として緑青と代赭《たいしゃ》との塊りとしか見えない松木立も、そのなかに入ってよく見ると、それぞれの樹が性向と姿態とを異にしているのに驚くことがよくある。多くの樹木が女の顔立と同じように、老齢の重みに圧されると、唯もう醜くなるのみなのに較べて、松の樹は男の容貌と同じように、歳とともに鍛錬せられゆく性格の重みを加え、環境との争闘から生じた痛ましい創痕《きずあと》を、雄々しくもむき出しに見せつけている。
松はこうした際立った性格のために、人間に愛敬せられるとともに、また松脂くさいその葉の呼吸で、あたりの大気に新鮮さを放散し、人間の気分に一味の健かさを与えている。私はこれまで自分の心に憂鬱の雲がかかると、
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