アナアド・ショウは、その脚本の一つで、英雄シイザアの禿頭を、若いクレオパトラの口でもって思う存分に冷かしたり、からかったりしている。どんな偉い英雄でも、クレオパトラのような美しい女に、折角隠していた頭の禿を見つけられて冷かされたのでは、少々参るに相違ない。
アメリカの法律家で、長いこと下院の雄弁家として聞えた男に Thomas Reed というのがあった。この男があるとき、まだ馴染のない理髪床へ鬚を剃りに入って往ったことがあった。
黒ん坊の鬚剃り職人は、髪の毛の薄くなった客の頭を見遁さなかった。そしてあわよくば発毛剤《けはえぐすり》の一罎を客に押しつけようとした。
「旦那。ここんところが少し薄いようだが、こんなになったのは、随分前からのことでがすか。」
「禿げとるというのかね。」法律家は石鹸の泡だらけの頤を動かした。「わしが産れ落ちた時には、やはりこんな頭だったよ。その後《ご》人が見てうらやましがるような、美しい髪の毛がふさふさと生えよったが、それもほんの暫くの間で、すぐにまた以前のように禿げかかって来たよ。」
黒ん坊はそれを聞くと、鼻さきに皺をよせて笑っていたが、発毛剤のことはもうあきらめたらしく、黙りこくって剃刀を動かしていた。
客が帰って往った後で、そこに待合せていた男の一人が、今までそこで顔を剃らせていた客は、議院きっての雄弁家だということを話した。すると、黒ん坊は厚い唇を尖らせて、喚くようにいった。
「雄弁家だって。そんなこと知らねえでどうするものか。わしら誰よりもよくあの旦那が演説遣いだってえことを知ってるだよ。」
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劇場監督として聞えた Charles Frohman が、あるとき友人の劇作家 J. M. Barrie と連れ立って、自分の関係しているある劇場の楽屋口から入ろうとしたことがあった。
そこに立っていた門番の老人は、胡散そうな眼つきをして、先きに立った Frohman の胸を突いた。
「ここはあんた方の入る所じゃござりません。」
それを聞いた劇場監督は、すなおに頷いて後へ引き返した。
その場の様子を見た Barrie は、腑に落ちなさそうに訊いた。
「何だって君、あの爺さんに君の名前を打ち明けないんだね。」
「とんでもない。」劇場監督はびっくりしたように言った。「そんなことでもし
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