自分の良人を軽く見るやうになりました。平尾氏はそれに少しも気がつきませんでした。
さうかうするうちに、平尾氏の持病である肺病がだんだん進んできて、自分の職業にも離れなければならなくなりました。やがて暗い、陰気な、貧しい日が続きました。血色のいい、はち切れさうな肉体をした、健康なOさんは、良人の病気とその苦痛とに対してあまり同情が持てないのみか、時とすると反感をさへ催すことがあるのを自分で知りました。しかも平尾氏は妻を信じ切つて、少しも疑ひませんでした。
藝術を捨てたのではなかつたが、不治の病気を抱いて、死に直面した平尾氏は、藝術よりもむしろ神の救ひを欣求《ごんぐ》しました。で、京都に来て同志社神学校に入りました。法悦を求めて精進してゐる間、二度も三度も咯血《かつけつ》しました。そのうち、Oさんの衣服が一枚二枚と少なくなつてゆくに気がついた平尾氏は、理由《わけ》を訊きました。Oさんは何気ない調子で答へました。
「曲げたんですわ、貴方の薬代や何かの足しにと思つて」
平尾氏は感謝の念に打たれないではゐられませんでした。そのうち氏が病気を推して書いた脚本が、読売新聞社の懸賞募集に当選して、賞金二百円が氏の許に送られました。Oさんはその半額を自分に与へてくれるやうに良人に強請《ねだ》りました。
「これだけあつたら、看護婦学校が卒業できるかと思ひます。そしたら貴方の介抱も思ふやうにできますから」
平尾氏は涙を流して喜びました。賞金の半分は分けられて、妻の懐中《ふところ》に入りました。Oさんはその翌日看護婦学校に入るといつて、手荷物を提げて家を出ました。――そして二度ともう良人の前にその姿を見せませんでした。
妻に逃げられたと知つてから、平尾氏の病気は急に昂進しました。そして息を引取る間際の最後の祈祷はかうでした。
「神よ、願はくばわが妻を忘れさせたまへ」
「神よ、願はくば妻を免したまへ」と祈らうとしても、どうしてもさうは祈り得られないで、掠《かす》めたやうな声で、「わが妻を忘れさせたまへ」といつた心を思ふと、痛はしくなります。
Oさんが薬代のために曲げたといつてゐたその着物は、まさかの時の用意に、一枚一枚と持ち出されて、実はその友達の家に預けられてゐたのでした。自分のものは何ひとつ失はず綺麗に持ち出したOさんは、京都を発ち際にその友達にいひました。
「私は最初の良人
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