顔色を変へました。誰にも隠してゐたことですが、実をいふとOさんは亭主持ちの体でした。しかもその亭主といふのは、自分の肉親の叔父で、Oさんは乱暴なこの叔父さんのために自分の童貞を汚され、おまけに子供まで持たせられてゐたのでした。思へば思ふほど、自分の一生を蹂躙《じうりん》した男性といふものが憎くて憎くてたまらず、どうかしてかうした不倫の関係から遁れて、女一人で自ら活き自ら教育したいと思つて誰にも知らさず、これまで住んでゐた朝鮮の家を振り捨てて大阪に身を寄せてゐたのでした。Oさんはこんな身体でしたから、人目に子持だなと気づかれるのが恐ろしさに、寮に入つてからまる二年といふもの、女友達がどんなに誘つても、何とかかとか辞柄《じへい》を設けて、一度だつて一緒にお湯には入らなかつたさうです。Oさんは平尾氏の前に、隠さず自分の過去を打ち明けました。
「ただいま申し上げましたやうな次第ですから、私は何をさしおいても、まづ独立するために、私自身を教育しなければなりません。お情けを受けるか受けないかは、その後のことです」
ときつぱり言ひきりましたが、それでも物質的に平尾氏の扶助を受けることになつて、女子大学に入りました。平尾氏はその当時記者生活の月収が四十円か四十五円しかなかつたなかで、毎月この婦人のために、二十円づつ仕送つてゐたやうでした。
 ところが、ある日のこと、平尾氏とOさんとの関係が続き物になつて万朝報《よろづてうほう》に掲載されました。それは大分非難の色を帯びた文字でした。今なら何でもない事件ですが、その当時は青年文学者と女子大学生の恋愛といふので、かなり世間から騒がれたものでした。平尾氏の親友で、今は亡き人の角田浩々歌客氏や、中井|隼太《はやた》氏などは、ふだんOさんに慊《あきた》らぬ感情をもつてゐましたから、この騒ぎを機会にOさんときつぱり手を切らせたい、少なくとも深入りはさせたくないといつて、平尾氏の東京行を中止させようと努力しましたが、いつこくな平尾氏は何といつても肯《き》き入れません。しまひには涙を流して、
「僕が行かなかつたら、Oは死んでしまふかも知れない。そんなことがあつたら、諸君は僕にOの生命を弁償することができるか」
と友人たちに喰つてかかる始末なので、皆は呆気にとられて黙つてゐるより仕方がありませんでした。東京行を決心した平尾氏は、旅費その他の調達を金尾
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