ら、何一つ見られなくなつてゐる。はかない人間の仕事は、かうした荒廢の前に立つては、睫毛一つ動かすにも足りないのだ。なんといふ嚴肅沈痛な姿であらう。これは自然のどん底に落ちついた大肯定であり、また大否定である。――私は怯えたやうな心を抱いて、じつと眼をつぶつた。
 ……私は今日まで途を歩かうといふには、どこやらの詩人のやうに、いつも美しい花の種子を隱しに入れて置いた。そして程よい土地だと思ふと、自分にも蒔いたり、他にも蒔かせたりした。かうして種子を蒔いた美しい花は、わからずやの群衆だの、ある權力を待つたものの荒つぽい爪先にかけられて、あるものはやはらかい莖を折られ、あるものは黄いろい蘂の粉が地べたに染みこむまで力強く蹂躙《ふみにじ》られた。私はそれを思ふと、いつも腹立たしさに息がつまるやうだ。
 しかし幸福な事には、私達の蒔いた花は、あの青淵にすがりついた蔓草のやうに、その莖に吾とわが運命を見透し得る眼が開いてゐる。この眼には今滅びかかつた自分の身をすら眺める事の出來る靜かな光がある。それに比べてこれを蹂躙らうといふ輩のみじめさといつたら――彼等の生活はちやうど巨大胃《メガロガストリ》のやうに、どんな物でも手當り次第に荒こなしをするだけで、自分の生命に吸ひとる分量といつたら、ほんの僅かしかない。彼等が滅亡の日に出會すと、ちやうどかうした巨大胃の病人が食斷ちしたやうに、少しの持堪《もちこた》へもなく死んでしまふ。――それを思ふと、かうした荒廢の姿に、私は言はうやうのない温かい氣持をもつ事が出來る……



底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「薄田泣菫全集 第八巻」創元社
   1939(昭和14)年刊行
初出:「三田文学」
   1911(明治44)年3月
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング