て、草はよしそれがどんなに小さい、果敢ないものであつても、それは地に潜んでゐる生命の眼であります。触覚であります。温覚であります。『生命』といふものは、それがどんなに気まぐれな、徒らな表現をとつても、そこには美があり、力があり、光輝があります。よろづの物のなかで、草に現れた生命ほど、謙遜で、素朴で、正直で、そして辛抱強いものはたんとありますまい。草こそは私にとつて『言葉』であります。暫くの間もぢつとしてゐられない不思議な存在であります。蹄がないばかりに、同じところに立ち停つてゐる小さな獣であります。声帯がないばかりに、沈黙を持ち続けてゐる小鳥であります。
 しかし、私の草に対する親しみは、それのみに因ることではありません。
 私は子供の頃草のなかで大きくなりました。もつと適切にいつたら、草と一緒に大きくなりました。田舎の寂しい村に生れて、友達といつても、僅しか持たなかつた私は、その僅な友達と遊ぶ折には、いつも草のなかを選びました。友達の居合はさない時は、一人ぽつちで兎のやうに草の上を転げまはつてゐました。草には花が咲き、実がなつてゐましたから、私はそれと一緒に遊ぶことが出来ました。指に
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