吸ひ着く朝鮮朝顔の花や、ちよつと触はると、蟋蟀のやうにぴちぴち鳴いて、莢を飛び出す酸漿の実などは、子供の私にとつて心からの驚異で、私はどれだけの長い時間を、それによつて遊ばせて貰つたか知れません。
 草のなかには、またいろんな虫が隠れてゐます。機織、土蜘蛛、軍人のやうに尻に剣を持つてゐるきりぎりす、長い口鬚を生やしたやきもち焼の蟋蟀、気取り屋の蟷螂、剽軽者の屁つ放り虫、おけら、蚯蚓、――といつたやうな、お伽の国の王様や小姓達の気忙はしさうな、また悠長な生活がそこにあります。草の葉を掻き分け、茎を押曲げて、そのなかに隠されてゐるこの俳優達のお芝居を覗き見するほど、私にとつて制しきれない誘惑はありませんでした。虫のだんまり、虫の濡場、虫の荒事、虫の所作事、虫の敵討のおもしろさ。彼等は覗き見をする私に気がつくと、びつくりして動作も思ひ入れもそつちのけに慌てて逃げ出しました。気短な奴は、私の指に食ひついたり、細い毛脛でもつて私の額を蹴飛ばしたりしました。
 いつでしたか、京都御所の苑内を上田敏氏と連立つて散歩したことがありました。苑内の芝生には、萌え出たばかりの新芽が、美しく日に輝いてゐました。フランス好きの上田氏は、それを見るにつけて、直にあちらの事を思ひ出すらしくいひました。
『日本の草は、感じも手触りも硬いのが多いやうですが、フランスの原つぱに生えてる草は、みんな柔かで、それに虫なんか滅多に見つからないのが気持がよござんすね。』
 私はそれを聞いて、都会で育つたこの学者と、田舎で生れた私との間に、草や昆虫に対する感じの上に、大きな間隙があるのを気づかないではゐられませんでした。虫は時々私の指を噛み、肌を螫しました。しかし彼等はいつも私の遊び友達でした。
 虫ばかりか、草も偶には人間に向つて、白い歯を見せることがあります。萱は剃刀のやうな葉で、幾度か私の指を切りました。薊はその針で度々私の掌面を刺しました。しかし私は、いつ、どんな場合にも、これらの草を見ると、
『おい、兄弟……』
 と、いきなり呼びかけたい程の親しみを失つたことはありません。よしそれが砂ぼこりに汚れてゐようと、牛の小便に濡れてゐようと、それはほんの些細な事です。
 遊ぶものと、遊ばせてくれるものと、成長するものと、成長させてくれるものと。――私と草との関係は、かうした離れられない間柄だつただけに、今夕立
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