。爺さんはちよつと気むづかしい顔をしましたが、それでも別に押し返さうともしませんでした。

 喜平は、小壺を抱いて外に出ました。高い樹の梢で初蝉が一つ鳴いてゐました。

        二

 喜平は、薬師峠の一軒茶屋で手に入れた小壺を、主人松井佐渡守の手もとまで差し出しました。

 松井佐渡守といへば、細川家の家来のなかでは、聞えた世間知りの老巧者でした。豊臣秀次の没落当時、この関白から内々で金を借りてゐた大名方のうちには、その証文を奉行の石田三成に押へられて、大弱りに弱らされてゐた者も少なくありませんでした。早速返済しなかつたら、その証文は太閤の前に差し出されるかも知れない。万一そんなことにでもなつたら、家の破滅はきまつてゐることでしたから。
 細川忠興もまた借手の一人でした。借りた金高は百両でしたが、早速の場合、百両の調達はなかなか容易ではなかつたので、忠興もさすがに弱りきつてゐました。
 主人の難儀を見てとつた佐渡守は、かねて好誼の深い徳川家の本多正信を訪ねて、金子《きんす》の借用方を申し込みました。正信はそのことを主人家康の耳に入れました。二人は家康の前に通されました。佐渡守
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