、いくらか疑ふやうな気振りさへ見えました。
 その家といふのは、幸野楳嶺の長男に当る或る日本画家の持物で、貫名海屋の高弟として聞えた谷口靄山が亡くなるまで長く住んでゐた、由緒つきの古い家でした。ある時大阪から上つて来て、此の家で初めて靄山に弟子入りをした男がありました。高名な画家の住居にしては、見すぼらし過ぎる家だなと思ひ乍ら、内心いくらか弟子入りしたのを後悔してゐるとそれに気のつかない靄山は、次の間の物音に耳を立てながら、
「今娘が外から帰つて来たやうぢや。一寸会ってやつて下さい。」
と言ひました。画よりも女が好きだつた大阪者は、急に生きかへつたやうな気持になつて居ずまひを直しながら、挨拶に出て来た婦人に叮嚀にお辞儀をしました。
 そして頭をもちあげた拍子にちらと見ると、相手は五十がらみの婆さんだつたので、七十過ぎの靄山にしてみれば、こんな婆さんの娘があつたところで少しも不思議はないと思ひながら、なんだかいやになつて、そこそこに暇をつげて帰つて来たといひます。
 靄山の生きてゐた頃から古びて見すぼらしかつた借家ですから、それから二十年も経つた今の穢らしさは想像が出来ませう。天井の節穴からは煤がぶら下つてをり、壁には鼠の小便の痕がついてゐました。そこらを見廻してゐたK氏は、最後に眼を私の顔に移して、
「いや、質屋の通帳などお持ちにならないに越したことはありません。初めて上つてとんだ失礼を申しました。」
と言つて叮嚀にお辞儀をしました.
 間もなくK氏は帰つて行きました。私は玄関に立つてその後姿を見送りました。その時ふと、
「旅先で金が無くなつたのでは、あの人も困るだらう。先刻は言ひそびれたが、少し位の金ならどうにかならない事もないんだから、呼び返して用立てようかしら。」
 こんな考が頭のなかを走りましたが、その次の瞬間にK氏の姿はもう見えなくなつてゐました。私は軽い悔恨の念を抱かされました。

 その晩友人のU博士が遊びに来たので、私はその日の出来事を話しました。
「それは極りが悪かつたでせう。質屋の通帳は芸術家にとつては、流行《はやり》すたりのない実用品の上に、また贅沢品でもあるのですからね。少くとも貧乏がみえになる当節では。」
 博士はいつものやうに口もとを上品にゆがめて言ひました。
「それぢや、お宅には無論おありでせうね。」
 私は戯談交りに訊きました。
 す
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング