めちぎつた箱書《はこがき》さへ添《そ》はつてゐるので、硯好きの河合はいゝ機会《をり》があつたら、何でも自分の方に捲《ま》き上げたいものだと、始終神様に願掛《ぐわんかけ》をしてゐたといふ事だ。
ある日河合と松平とは例《いつも》のやうに碁を打つてゐた。河合は態《わざ》と一二番負けて置いて、それからそろ/\、
「何《ど》うも今日は厭《いや》に負《まけ》が込む。こんな日には賭碁《かけご》でもしたら気が引立つかも知れない。何うだい、貴公には古松研、拙者には沈南蘋《しんなんびん》の名画があるが、あれを一つ賭けてみようぢやないか。」
と切り出してみた。
松平は二つ返事で承知をした。
「お気の毒だが、沈南蘋は拙者が預くかな。」
などと戯談《ぜうだん》を言ひ言ひ、また打ち始めたが、かね/″\お賽銭《さいせん》を貰つてゐる氏神様のお力で、河合は手もなく松平を負かして、名高い「古松研」は到頭河合の手に渡つて了つた。
維新後河合家の名硯は、それ/″\百硯箪笥から飛び出して知らぬ人に買ひ取られて往つた。当地の八田氏の売立会に出てゐた「金星銀糸硯」なども、その一つだが、例の「古松研」は今は神戸の某実業家の手
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング