かぶ》つたやうなそのしかめつ面。人を恐れないその眼の光。私は見てゐるうちに、何だか不気味になつた。
「池のぬしかも知れない。」
さう思うと、水草の蔭に、幾年と棲みながらへて、岸を外へ、広い天地に躍り出すこともできないで、絶えず身悶えして池を泳ぎまはり絶えず限られた池を呪つて来た老魚の生活の倦怠と憂鬱とが、私の小さな心を脅かすやうに感じられて来たので、私は魚を獲ることなどはすつかり思ひとまつて、そこそこに舟を岸に漕ぎ戻したことがあつた。
河魚といへば、いづれも新鮮な生命にぴちぴちしてゐて、その姿をしなやかな、美しいものとのみ思つて、友達のやうな親しみをもつて遊び馴れて来た私に、この古池の鯉は、彼等の持つ冷たい不気味さと憂鬱との半面を見せてくれるに十分であつた。
私はその後、どうしたわけか、魚の画が好きになつて、出来る限りいろんな画家のものを貪り見たことがあつた。画院の待詔で、遊魚の図の名手として聞え、世間から范獺子と呼ばれた范安仁をはじめ、応挙、盧雪、崋山などの名高い作物をも見たが、その多くは愉快な魚の動作姿態と、凝滞のない水の生活の自由さとを描いたもので、あの古池の鯉が見せてく
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