。私は折角の幸田氏の言葉でしたから、鯰が大の臆病ものだといふことは信じてもいいやうな気がしましたが、さうかといつて臆病ものだから水の上にぱくりと頭を持ち上げたといふのが疑はしいやうな口ぶりは承知が出来かねました。なぜといつて、私は小供の頃幾度かそれを見かけたばかしか、自分でも一度はその大きな頭に鎌を打ち込んだこともあつたのでしたから。

     三

 このごろ咲くものに、柿の花と馬齢薯の花とがあります。どちらも実を結ぶ事が出来たらそれで十分だ、その他のものは一切贅沢だといつたやうな、ごく簡朴で質素な花です。そこらの農夫が木の端くれで刻んだか、紙きれで折つたかといつたやうな、いはゆる農民芸術の味があるのはこの花です。柿の花のもつてゐるあの安香水のやうな甘いにほひも、自然が必要に逼られたからの小さな驕りに過ぎないのです。

     四

 草も木も緑をもつて誇りとしてゐるこの頃の世界に、たつたひとり、茎も葉も紫で、おまけに体ぢうから紫色の香をぷんぷん放散してゐる紫蘇こそは最も特色のある草です。そのむかし、京都円山の茶寮で、いろんな人の女房たちが衣裳比べをした事がありました。誰も彼もが金銀をつくして、贅沢を凝らしたなかに、ひとり中村内蔵助の妻は、尾形光琳の趣好で、打掛着付とも黒羽二重の無地、その下には白無垢を幾つも重ねてゐましたが、この方が見飽きがしないといふので、大層な評判をとつたさうです。紫蘇の紫にそれ程の趣好と用意とはなささうで、ことによつたら造化の絵具皿に紫の色しか残つてゐなかつた時の創造かも知れませんが、それにしても、色も香も紫づくめに塗りくつた放胆な意匠は季が季だけに充分の効果が見えます。



底本:「日本の名随筆33・水」作品社
   1985(昭和60)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「太陽は草の香がする」アルス
   1926(昭和元)年9月
入力:砂場清隆
校正:菅野朋子
2000年7月29日公開
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