の日光とをかはるがはる味ふために、茎は柱のやうに真つ直に突つ立ちながら、花はみな横向きにくつついてゐるのはこの草です。
 私は立葵を描いた光琳と乾山との作を見たことがありますが、兄弟相談して画いたかとも思はれる程互によく似てゐました。茎と花とが持つてゐる図案的のおもしろみはどちらにもよく出てゐましたが、土から真つ直に天に向つて突立つてゐるこの草の力強さと厚ぼつたさとは、乾山の方によく出てゐたやうに思ひます。作者の人柄が映つてゐたのかも知れません。
 暫くするうち、雨は小降りとなり、やがて夕日が少しづゝ洩れるやうになりました。湿気を帯びた、新鮮な風がさつと吹いて来ると、ぐしよ濡れになつて突つ伏してゐたそこらの木々は、狗が身ぶるひして水を切るやうに、身体ぢうの水気を跳ね飛ばして、勢ひよく起き上りました。ひた泣きに涙を流した後の歓び――さういつたやうな静かな快活さがあたりに流れました。日暮前のこんな時に、しみじみと見とれるのは、合歓の花です。

     二

 雨の晴れ間を田圃へ出てみると、小川には薄濁りした雨水が、田の畔を浸すまでに満ち溢れてゐました。それを見ると、小供の頃こんな出水のあつた晩に、よく鯰切りに出かけて往つた事を思ひ出しました。手頃の竹竿の端に草刈り鎌を結びつけたのを片手に、今一つの手には松明を持つて出かけるのです。くらがりの小川の岸づたひに、松明をふりふり辿つて往くと、火影を慕つた大鯰が偶にぱくりと水音をさせて、その大きな頭を流の上にもちあげます。と見ると、やにはに片手に持つた長柄の草刈鎌をふりかざして、その頭をめがけてはつしと打ちおろすのです。川狩としては少し残酷なやうですが、私たちの小供の頃は梅雨の雨が降り続いて、それが下り闇の夜にでもなると、誰がいひ出すともなく、
「鯰切りにでも出かけたいなあ。」
 といふことになつて、二人三人小さな蓑笠を着て、大人の尻についてぼそぼそ出かけたものです。
 いつでしたか、幸田露伴氏が京都大学の講師をしてゐられる頃、お目にかかつていろんな話のなかに、この鯰切りのことを話した事がありました。幸田氏は名高い魚釣の名人ですが、私の話を聞くと、不審さうに小首を傾げて、
「さうですか。しかし鯰は生れつきひどい臆病ものですから、松明のあかりを見たら、尻ごみこそすれ、水の上に浮き上つて来る筈はないんですがね。」
 といはれました
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