逢うのかえって易《やす》きかとも思う。罌粟《けし》散るを憂《う》しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。
 衰えは春野焼く火と小さき胸を侵《お》かして、愁《うれい》は衣に堪えぬ玉骨《ぎょっこつ》を寸々《すんずん》に削る。今までは長き命とのみ思えり。よしやいつまでもと貪《むさぼ》る願はなくとも、死ぬという事は夢にさえ見しためしあらず、束《つか》の間《ま》の春と思いあたれる今日となりて、つらつら世を観ずれば、日に開く蕾《つぼみ》の中にも恨《うらみ》はあり。円《まる》く照る明月のあすをと問わば淋しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。
 今はこれまでの命と思い詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕辺に招きて「わがためにランスロットへの文《ふみ》かきて玉われ」という。父は筆と紙を取り出でて、死なんとする人の言の葉を一々に書き付ける。
「天《あめ》が下《した》に慕える人は君ひとりなり。君一人のために死ぬるわれを憐れと思え。陽炎《かげろう》燃ゆる黒髪の、長き乱れの土となるとも、胸に彫るランスロットの名は、星変る後の世までも消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水《どすい》の因果を受くる理《ことわり》なしと思えば。睫《まつげ》に宿る露の珠《たま》に、写ると見れば砕けたる、君の面影の脆《もろ》くもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらば濺《そそ》げ。基督《キリスト》も知る、死ぬるまで清き乙女《おとめ》なり」
 書き終りたる文字は怪しげに乱れて定かならず。年寄の手の顫《ふる》えたるは、老《おい》のためとも悲《かなしみ》のためとも知れず。
 女またいう。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手にこの文《ふみ》を握らせ給え。手も足も冷え尽したる後、ありとある美しき衣《きぬ》にわれを着飾り給え。隙間《すきま》なく黒き布しき詰めたる小船《こぶね》の中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇《ばら》、白き百合《ゆり》を採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」
 かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期《ご》なし。父と兄とは唯々《いい》として遺言の如《ごと》く、憐れなる少女《おとめ》の亡骸《なきがら》を舟に運ぶ。
 古き江に漣《さざなみ》さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今緑り罩《こ》むる陰を離れて中流に漕《こ》ぎ出《い》づる。櫂《かい》操
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