「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来《きた》るに来所《らいしょ》なく去るに去所《きょしょ》を知らずと云《い》うと禅語《ぜんご》めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家《わがや》に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後《あと》はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失《しっ》したる中間が会釈《えしゃく》もなく明るい。あたかも闇を裂《さ》く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地《ここち》がする。倫敦塔《ロンドンとう》は宿世《すくせ》の夢の焼点《しょうてん》のようだ。
倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎《せん》じ詰めたものである。過去と云う怪《あや》しき物を蔽《おお》える戸帳《とばり》が自《おの》ずと裂けて龕《がん》中の幽光《ゆうこう》を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆《さか》しまに戻って古代の一片が現代に漂《ただよ》い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。
この倫敦塔を塔橋《とうきょう》の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古《いにし》えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺《なが》め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は灰汁桶《あくおけ》を掻《か》き交《ま》ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている。壁土を溶《とか》し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理《むりやり》に動いているかと思わるる。帆懸舟《ほかけぶね》が一|隻《せき》塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に停《とま》っているようである。伝馬《てんま》の大きいのが二|艘《そう》上《のぼ》って来る。ただ一人の船頭《せんどう》が艫《とも》に立って艪《ろ》を漕《こ》ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の欄干《らんかん》のあたりには白き影がちらちらする、大方《おおかた》鴎《かもめ》であろう。見渡したところすべての物が静かである。物憂《ものう》げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然
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