併の混雑やなんかで忙しかったと見え、教務係の人は少しも取合って呉《く》れないので、其処《そこ》で僕は大いに考えたのである。学課の方はちっとも出来ないし、教務係の人が追試験を受けさせて呉れないのも、忙しい為もあろうが、第一自分に信用がないからだ。信用がなければ、世の中へ立った処で何事も出来ないから、先《ま》ず人の信用を得なければならない。信用を得るには何《ど》うしても勉強する必要がある。と、こう考えたので、今迄の様にうっかりして居ては駄目だから、寧《いっ》そ初めからやり直した方がいいと思って、友達などが待って居て追試験を受けろと切《しき》りに勧《すす》めるのも聞かず、自分から落第して再び二級を繰返《くりかえ》すことにしたのである。人間と云うものは考え直すと妙なもので、真面目《まじめ》になって勉強すれば、今迄少しも分らなかったものも瞭然《はっきり》と分る様になる。前には出来なかった数学なども非常に出来る様になって、一日《あるひ》親睦会《しんぼくかい》の席上で誰は何科へ行くだろう誰は何科へ行くだろうと投票をした時に、僕は理科へ行く者として投票された位であった。元来僕は訥弁《とつべん》で自分の思って居ることが云えない性《たち》だから、英語などを訳しても分って居乍《いなが》らそれを云うことが出来ない。けれども考えて見ると分って居ることが云えないと云う訳はないのだから、何でも思い切って云うに限ると決心して、其後は拙《まず》くても構わずどしどし云う様にすると、今迄は教場などで云えなかったこともずんずん云うことが出来る。こんな風に落第を機としていろんな改革をして勉強したのであるが、僕の一身にとって此落第は非常に薬になった様に思われる。若《も》し其時落第せず、唯|誤魔化《ごまか》して許《ばか》り通って来たら今頃は何《ど》んな者になって居たか知れないと思う。
 前に云った様に自《みずか》ら落第して二級を繰返し、そして一級へ移ったのであるが、一級になるともう専門に依ってやるものも違うので、僕は二部の仏蘭西《フランス》語を択《えら》んだ。二部は工科で僕は又建築科を択んだがその主意が中々面白い。子供心に異《おつ》なことを考えたもので、其主意と云うのは先《ま》ずこうである。自分は元来変人だから、此儘《このまま》では世の中に容《い》れられない。世の中に立ってやって行くには何《ど》うしても根柢《こ
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