屋を其儘《そのまま》、学校らしい処などはちっともなかったが、其頃は又寄宿料等も極《きわ》めて廉《やす》く――僕は家から通って居たけれど――慥《たし》か一カ月二円位だったと覚えて居る。
元来僕は漢学が好で随分興味を有って漢籍は沢山《たくさん》読んだものである。今は英文学などをやって居るが、其頃は英語と来たら大嫌《だいきら》いで手に取るのも厭《いや》な様な気がした。兄が英語をやって居たから家では少し宛《ずつ》教えられたけれど、教える兄は癇癪持《かんしゃくもち》、教わる僕は大嫌いと来て居るから到底《とうてい》長く続く筈《はず》もなく、ナショナルの二位でお終《しま》いになって了《 しま》ったが、考えて見ると漢籍|許《ばか》り読んでこの文明開化の世の中に漢学者になった処が仕方なし、別に之《これ》と云う目的があった訳でもなかったけれど、此儘《このまま》で過ごすのは充《つま》らないと思う処から、兎《と》に角《かく》大学へ入って何か勉強しようと決心した。其頃地方には各県に一つ宛位中学校があって、之《これ》を卒業して来た者は殆《ほと》んど無試験で大学予備門へ入れたものであるが、東京には一つしか中学はなし、それに変則の方をやった者は容易に入れたけれど、正則の方をやったものだと更に英語をやらなければならないので、予備門へ入るものは多く成立学舎、共立学舎、進文学舎、――之は坪内さんなどがやって居たので本郷壱岐殿坂の上あたりにあった――其他之に類する二三の予備校で入学試験の準備をしたものである。其処《そこ》で僕も大いに発心《ほっしん》して大学予備門へ入る為に成立学舎――駿河台《するがだい》にあったが、慥《たし》か今の蘇我祐準の隣だったと思う――へ入学して、殆《ほと》んど一年|許《ばか》り一生懸命に英語を勉強した。ナショナルの二位しか読めないのが急に上の級《クラス》へ入って、頭からスウヰントンの万国史などを読んだので、初めの中《うち》は少しも分らなかったが、其時は好《すき》な漢籍さえ一冊残らず売って了《しま》い夢中になって勉強したから、終《つい》にはだんだん分る様になって、其年(明治十七年)の夏は運よく大学予備門へ入ることが出来た。同じ中学に居っても狩野、岡田などは変則の方に居たから早く予備門へ入って進んで行ったのだが、僕などが予備門へ入るとしては二松学舎や成立学舎などにまごついて居た丈《だ
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