》のような雲が、透《す》き徹《とお》る底の上を静かに伸《の》して行ったと思ったら、いつしか底の奥《おく》に流れ込んで、うすくもやを掛《か》けたようになった。
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君にお逢《あ》いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿《ばか》あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚《も》たした奴《やつ》を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿《さら》のような眼《め》を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻《か》いた。何という猪口才《ちょこざい》だろう。
 船は静かな海を岸へ漕《こ》ぎ戻《もど》る。君|釣《つり》はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝《ね》ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草《まきたばこ》を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪《ろ》の足で掻き分けられた浪《なみ》の上を揺《ゆ》られながら漾《ただよ》っていった。「君が来たんで生徒も大いに喜んでい
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