。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手腕《しゅわん》でゴルキなんですから、私《わたし》なんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料《こやし》には出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。おれは一|匹《ぴき》で懲《こ》りたから、胴の間へ仰向《あおむ》けになって、さっきから大空を眺めていた。釣をするよりこの方がよっぽど洒落《しゃれ》ている。
 すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞《きこ》えない、また聞きたくもない。おれは空を見ながら清《きよ》の事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇麗《きれい》な所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶《しわくちゃ》だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥《は》ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣《りょううんかく》へのろうが
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