ると、いつの間にか傍《そば》へ来て坐った、野だが、鈴ちゃん逢いたい人に逢ったと思ったら、すぐお帰りで、お気の毒さまみたようでげすと相変らず噺《はな》し家みたような言葉使いをする。知りまへんと芸者はつんと済ました。野だは頓着《とんじゃく》なく、たまたま逢いは逢いながら……と、いやな声を出して義太夫《ぎだゆう》の真似《まね》をやる。おきなはれやと芸者は平手で野だの膝《ひざ》を叩いたら野だは恐悦《きょうえつ》して笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑うなんて、野だもおめでたい者だ。鈴ちゃん僕が紀伊《き》の国を踴《おど》るから、一つ弾《ひ》いて頂戴と云い出した。野だはこの上まだ踴る気でいる。
向うの方で漢学のお爺《じい》さんが歯のない口を歪《ゆが》めて、そりゃ聞えません伝兵衛《でんべい》さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に済《すま》したが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕《つら》まえて近頃《ちかごろ》こないなのが、でけましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻《かげつまき》、白いリボンのハイカ
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