でしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支《さしつか》えないでしょうか」
 おれはちょっと困った。文学士なんてものはやっぱりえらいものだ。妙な所へこだわって、ねちねち押《お》し寄せてくる。おれはよく親父《おやじ》から貴様はそそっかしくて駄目《だめ》だ駄目だと云われたが、なるほど少々そそっかしいようだ。婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりのおっ母さんにも逢って詳《くわ》しい事情は聞いてみなかったのだ。だからこう文学士流に斬《き》り付けられると、ちょっと受け留めにくい。
 正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シャツに対して不信任を心の中《うち》で申し渡してしまった。下宿の婆さんもけちん坊《ぼう》の欲張り屋に相違ないが、嘘は吐《つ》かない女だ、赤シャツのように裏表はない。おれは仕方がないから、こう答えた。
「あなたの云う事は本当かも知れないですが――とにかく増給はご免蒙《めんこうむ》ります」
「それはますます可笑《おか》しい。今君がわざわざお出《いで》
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