開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云《い》っても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極《きま》ってる。もし山嵐が煽動《せんどう》したとすれば、生徒と山嵐を退治《たいじ》ればそれでたくさんだ。人の尻《しり》を自分で背負《しょ》い込《こ》んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼《かれ》はこんな条理《じょうり》に適《かな》わない議論を吐《は》いて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏《からす》がとまってるのを眺《なが》めている。漢学の先生は蒟蒻版《こんにゃくばん》を畳《たた》んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気《ばかげ》たものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
 おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞《しま》のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾《はんけち》はきっとマドンナから巻き上げたに相違《そうい》ない。男は白い麻《あさ》を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届《ふゆきとどき》であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚《は》ずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠《かんけつ》があると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯《いたずら》をやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙《ようかい》する限りではないが、どうかその辺をご斟酌《しんしゃく》になって、なるべく寛大なお取計《とりはからい》を願いたいと思います」
 なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂《きちがい》が人の頭を撲《なぐ》り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有《ありがた》い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲《すもう》でも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸《ねくび》をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々《とうとう》と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞《つま》ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌《しゃべ》って揚足《あげあし》を取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊《とっかん》事件は吾々《われわれ》心ある職員をして、ひそかに吾《わが》校将来の前途《ぜんと》に危惧《きぐ》の念を抱《いだ》かしむるに足る珍事《ちんじ》でありまして、吾々職員たるものはこの際|奮《ふる》って自ら省りみて、全校の風紀を振粛《しんしゅく》しなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮《こうけい》に中《あた》った剴切《がいせつ》なお考えで私は徹頭徹尾《てっとうてつび》賛成致します。どうかなるべく寛大《かんだい》のご処分を仰《あお》ぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列《ちんれつ》するぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起《た》ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢《とんちんかん》な、処分は大嫌《だいきら》いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然|悪《わ》るいです。どうしても詫《あや》まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あま
前へ 次へ
全53ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング