着て、扇子《せんす》をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉《うれ》しい、お仲間が出来て……私《わたし》もこれで江戸《えど》っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日《あさって》から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々《いまいま》しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿《とま》ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨《はくぼく》を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布《あざぶ》の聯隊《れんたい》より立派でない。大通りも見た。神楽坂《かぐらざか》を半分に狭くしたぐらいな道幅《みちはば》で町並《まちなみ》はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張《いば》ってる人間は可哀想《かわいそう》なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵《たいてい》は見尽《みつく》したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐《すわ》っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴《くつ》を脱《ぬ》いで上がると、お座敷《ざしき》があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五|畳《じょう》の表二階で大きな床《とこ》の間《ま》がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣《ゆかた》一枚になって座敷の真中《まんなか》へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌《だいきら》いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発《ふんぱつ》して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気《ねむけ》がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽《ろうばい》した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚《おろか》、明日《あした》から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕《ぼく》がいい下宿を周旋《しゅうせん》してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料《しゅくりょう》に払《はら》っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発《ふんぱつ》してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越《こ》して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼《たの》む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極|閑静《かんせい》だ。主人は骨董《こっとう》を売買するいか銀と云う男で、女房《にょうぼう》は亭主《ていしゅ》よりも四つばかり年嵩《としかさ》の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町《とおりちょう》で氷水を一|杯奢《ぱいおご
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