という顔をした。
「どうして」
「でも新聞で見ると、来年から一般に官吏の増俸があると云う話じゃありませんか」
 御米はそんな消息を全く知らなかった。小六から詳しい説明を聞いて、始めてなるほどと首肯《うなず》いた。
「全くね。これじゃ誰だって、やって行けないわ。御肴《おさかな》の切身なんか、私《わたし》が東京へ来てからでも、もう倍になってるんですもの」と云った。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であった。御米に注意されて始めてそれほどむやみに高くなるものかと思った。
 小六にちょっとした好奇心の出たため、二人の会話は存外素直に流れて行った。御米は裏の家主の十八九時代に物価の大変安かった話を、この間宗助から聞いた通り繰り返した。その時分は蕎麦《そば》を食うにしても、盛《もり》かけが八厘、種《たね》ものが二銭五厘であった。牛肉は普通《なみ》が一人前《いちにんまえ》四銭で、ロースは六銭であった。寄席《よせ》は三銭か四銭であった。学生は月に七円ぐらい国から貰《もら》えば中《ちゅう》の部であった。十円も取るとすでに贅沢《ぜいたく》と思われた。
「小六さんも、その時分だと訳なく大学が卒業できたのにね」と御米が云った。
「兄さんもその時分だと大変暮しやすい訳ですね」と小六が答えた。
 座敷の張易《はりかえ》が済んだときにはもう三時過になった。そうこうしているうちには、宗助も帰って来るし、晩の支度《したく》も始めなくってはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髪剃《かみそり》を片づけた。小六は大きな伸《のび》を一つして、握《にぎ》り拳《こぶし》で自分の頭をこんこんと叩《たた》いた。
「どうも御苦労さま。疲れたでしょう」と御米は小六を労《いた》わった。小六はそれよりも口淋《くちさむ》しい思がした。この間文庫を届けてやった礼に、坂井からくれたと云う菓子を、戸棚《とだな》から出して貰って食べた。御米は御茶を入れた。
「坂井と云う人は大学出なんですか」
「ええ、やっぱりそうなんですって」
 小六は茶を飲んで煙草《たばこ》を吹いた。やがて、
「兄さんは増俸の事をまだあなたに話さないんですか」と聞いた。
「いいえ、ちっとも」と御米が答えた。
「兄さんみたようになれたら好いだろうな。不平も何もなくって」
 御米は特別の挨拶《あいさつ》もしなかった。小六はそのまま起《た》って六畳へ這入《はい》ったが、やがて火が消えたと云って、火鉢を抱《かか》えてまた出て来た。彼は兄の家《いえ》に厄介《やっかい》になりながら、もう少し立てば都合がつくだろうと慰めた安之助の言葉を信じて、学校は表向《おもてむき》休学の体《てい》にして一時の始末をつけたのである。

        九

 裏の坂井と宗助《そうすけ》とは文庫が縁になって思わぬ関係がついた。それまでは月に一度こちらから清《きよ》に家賃を持たしてやると、向《むこう》からその受取を寄こすだけの交渉に過ぎなかったのだから、崖《がけ》の上に西洋人が住んでいると同様で、隣人としての親みは、まるで存在していなかったのである。
 宗助が文庫を届けた日の午後に、坂井の云った通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を検《しら》べに来たが、その時坂井もいっしょだったので、御米《およね》は始めて噂《うわさ》に聞いた家主の顔を見た。髭《ひげ》のないと思ったのに、髭を生やしているのと、自分なぞに対しても、存外|丁寧《ていねい》な言葉を使うのが、御米には少し案外であった。
「あなた、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」と宗助が帰ったとき、御米はわざわざ注意した。
 それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだってはいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云いおいて、帰って行った。
 その晩宗助は到来の菓子折の葢《ふた》を開けて、唐饅頭《とうまんじゅう》を頬張《ほおば》りながら、
「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝《けち》でもないようだね。他《ひと》の家《うち》の子をブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、
「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。
 夫婦と坂井とは泥棒の這入《はい》らない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単に隣人の交際とか情誼《じょうぎ》とか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有《も》たなかったのである。もし自然がこのままに無為《むい》の月日を駆《か》ったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸《か》け隔《へだた》るごとく、互の心も離れ離れになったに違なかった。
 ところがそれからまた二日置いて、三日目の暮れ方に、獺《かわうそ》の襟《えり》の着いた暖かそうな外套《マント》を着て、突然坂井が宗助の所へやって来た。夜間客に襲《おそ》われつけない夫婦は、軽微の狼狽《ろうばい》を感じたくらい驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の礼を述べた後《のち》、
「御蔭で取られた品物がまた戻りましたよ」と云いながら、白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》に巻き付けた金鎖を外《はず》して、両葢《りょうぶた》の金時計を出して見せた。
 規則だから警察へ届ける事は届けたが、実はだいぶ古い時計なので、取られてもそれほど惜しくもないぐらいに諦《あき》らめていたら、昨日《きのう》になって、突然差出人の不明な小包が着いて、その中にちゃんと自分の失《な》くしたのが包《くる》んであったんだと云う。
「泥棒も持ち扱かったんでしょう。それとも余り金にならないんで、やむを得ず返してくれる気になったんですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑っていた。それから、
「何私から云うと、実はあの文庫の方がむしろ大切な品でしてね。祖母《ばば》が昔し御殿へ勤めていた時分、戴《いただ》いたんだとか云って、まあ記念《かたみ》のようなものですから」と云うような事も説明して聞かした。
 その晩坂井はそんな話を約二時間もして帰って行ったが、相手になった宗助も、茶の間で聞いていた御米も、大変談話の材料に富んだ人だと思わぬ訳に行かなかった。後《あと》で、
「世間の広い方《かた》ね」と御米が評した。
「閑《ひま》だからさ」と宗助が解釈した。
 次の日宗助が役所の帰りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前まで来ると、例の獺《かわうそ》の襟《えり》を着けた坂井の外套《マント》がちょっと眼に着いた。横顔を往来の方へ向けて、主人を相手に何か云っている。主人は大きな眼鏡を掛けたまま、下から坂井の顔を見上げている。宗助は挨拶《あいさつ》をすべき折でもないと思ったから、そのまま行き過ぎようとして、店の正面まで来ると、坂井の眼が往来へ向いた。
「やあ昨夜は。今御帰りですか」と気軽に声をかけられたので、宗助も愛想《あいそ》なく通り過ぎる訳にも行かなくなって、ちょっと歩調を緩《ゆる》めながら、帽子を取った。すると坂井は、用はもう済んだと云う風をして、店から出て来た。
「何か御求めですか」と宗助が聞くと、
「いえ、何」と答えたまま、宗助と並んで家《うち》の方へ歩き出した。六七間来たとき、
「あの爺《じじ》い、なかなか猾《ずる》い奴ですよ。崋山《かざん》の偽物《にせもの》を持って来て押付《おっつけ》ようとしやがるから、今叱りつけてやったんです」と云い出した。宗助は始めて、この坂井も余裕《よゆう》ある人に共通な好事《こうず》を道楽にしているのだと心づいた。そうしてこの間売り払った抱一《ほういつ》の屏風《びょうぶ》も、最初からこう云う人に見せたら、好かったろうにと、腹の中で考えた。
「あれは書画には明るい男なんですか」
「なに書画どころか、まるで何も分らない奴です。あの店の様子を見ても分るじゃありませんか。骨董《こっとう》らしいものは一つも並んでいやしない。もとが紙屑屋《かみくずや》から出世してあれだけになったんですからね」
 坂井は道具屋の素性《すじょう》をよく知っていた。出入《でいり》の八百屋の阿爺《おやじ》の話によると、坂井の家は旧幕の頃何とかの守《かみ》と名乗ったもので、この界隈《かいわい》では一番古い門閥家《もんばつか》なのだそうである。瓦解《がかい》の際、駿府《すんぷ》へ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然《はっきり》宗助の頭に残っていなかった。
「小さい内から悪戯《いたずら》ものでね。あいつが餓鬼大将《がきだいしょう》になってよく喧嘩《けんか》をしに行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口|洩《も》らした。それがまたどうして崋山の贋物《にせもの》を売り込もうと巧《たく》んだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。――
「なに親父《おやじ》の代から贔屓《ひいき》にしてやってるものですから、時々|何《なん》だ蚊《か》だって持って来るんです。ところが眼も利《き》かない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪《にく》い代物《しろもの》です。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」
 宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮《さえ》ぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋がそれ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼《こうらいやき》を本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、
「まあ台所《だいどこ》で使う食卓《ちゃぶだい》か、たかだか新《あら》の鉄瓶《てつびん》ぐらいしか、あんな所じゃ買えたもんじゃありません」と云った。
 そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風《びょうぶ》の事を聞きたかったが、わざわざ回《まわ》り路《みち》をするのも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、
「近い中《うち》御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。
 その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家《うち》にいると底冷《そこびえ》のする寒さに襲《おそ》われるとか云って、御米はわざわざ置炬燵《おきごたつ》に宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据《す》えて、夫の帰りを待ち受けていた。
 この冬になって、昼のうち炬燵《こたつ》を拵《こし》らえたのは、その日が始めてであった。夜は疾《と》うから用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。
「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」
「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六《ころく》さんがいて、塞《ふさ》がっているんですもの」
 宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。襯衣《シャツ》の上から暖かい紡績織《ぼうせきおり》を掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、
「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌《しの》げない」と云った。小六の部屋になった六畳は、畳こそ奇麗《きれい》でないが、南と東が開《あ》いていて、家中《うちじゅう》で一番暖かい部屋なのである。
 宗助は御米の汲《く》んで来た熱い茶を湯呑《ゆのみ》から二口ほど飲んで、
「小六はいるのかい」と聞いた。小六は固《もと》よりいたはずである。けれども六畳はひっそりして人のいるようにも思われなかった。御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬燵|蒲団《ぶとん》の中へ潜《もぐ》り込んで、すぐ横になった。一方口《いっぽうぐち》に崖を控えている座敷には、もう暮方の色が萌《きざ》していた。宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色《けしき》を眺《なが》めていた。すると御米と清が台所で働く音が、自分に関係のない隣の人の活動のごとくに聞
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