上の庭へ出て、ブランコへ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨《うら》めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日《こんにち》でも、何不足のない顔をして、腮《あご》などは二重《ふたえ》に見えるくらいに豊《ゆたか》なのである。御母さんは肥っているから剣呑《けんのん》だ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助《やすのすけ》が始終《しじゅう》心配するそうだけれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享《う》け合っているものとしか思われなかった。
「安さんは」と御米が聞いた。
「ええようやくね、あなた。一昨日《おととい》の晩帰りましてね。それでついつい御返事も後《おく》れちまって、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って来た。
「あれもね、御蔭《おかげ》さまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配でございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、まあ若いものの事ですから、これから先どう変化《へんげ》るか分りゃしませんよ」
御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々《あいだあいだ》に挟《はさ》んでいた。
「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船《かつおぶね》へ据《す》え付けるんだとかってねあなた」
御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後《あと》を話した。
「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大きな声を出して笑った。「何でも石油を焚《た》いて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕《こ》ぐ手間《てま》がまるで省けるとかでね。五里も十
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